Shinning sun and brilliant moon





 「・・・そうか。そのような事を・・・」

 不寝番を除く寺の者全てが床に就く頃。
 客間に敷かれた床の上で胡坐をかき、悟空は羅昂に、江流と交わした会話を報告した。
 一応羅昂も光明氏から江流を紹介されたが、やはり最高僧相手だからか、やや硬い態度で挨拶を交わした程度で、会話らしい会話は出来ていなかった。
 そして立場上、羅昂から積極的に江流に接触する理由も無いので、当面は悟空がアンテナ役を務めることになりそうだ。
 ちなみに客人枠の羅昂と違い下男という扱いとして入浴の順序を(羅昂に)決められたため、入浴も江流と一緒であったが、ここでも彼に関する目新しい話は聞けなかった。
 光明氏の親馬鹿エピソードばかり、やたら詳しくなってしまっただけである。

「さもありなん、彼とて他者に語る程の過去は持っておらぬだろうて、自ずと己が師の話になろう」

 光明氏に拾われたその日からこの寺でしか暮らしたことのない子供に、自分語りをしろというのがそもそも無理な話である。
 取り敢えず、この世界の江流に、自分が玄奘三蔵である事や、この世界が魔鏡の創り出した幻想である事の自覚はないのが判っただけでも、一つの収穫を得たと言えよう。

「もしさ、このまま江流がこの世界の事に気付かないまま何日も過ぎたらどうなるんだ?もしかして、お師匠様が死ぬって日に出くわしたりして・・・」
「いや、この世界は飽く迄も魔鏡が玄奘殿の望みを夢と言う形で具現化・・・もとい、具象化させた世界だ。玄奘殿が最も忌まわしい過去とする日を映すことはない。
 つまり、このぬるま湯のような日々が延々と繰り返されるだけだろう」
「それって――・・・」

 悟空がそこまで言った時、



 ―――カァ・・・カァ・・・



「――え?」

 カラスの鳴き声に、思わず窓の外を振り向くと、

「え、え、何で?」

 生い茂る木々の間から僅かに差し始めた朝日が眼に飛び込み、己が目を疑う。

「――明けの烏か。間もなく起床の鐘が撞かれよう」
「いやおかしいって!俺等そんなに話し込んでないし!まだ夜中にもなってなかったじゃん!!」
「恐らく、江流殿が眠っておられる時間帯は具象化されないということだろう・・・我々のこの意識も、夢を見ている状態故、その中で眠るという芸当は許されないようだ」
「うえぇ〜っ、そりゃ確かに眠くはならないけど、でも何か、変な感じ〜っ」

 胡坐をかいただけで中に入っていない布団の上で、手足をばたつかせる悟空。
 その耳に、起床を促す鐘が虚しく響いた――








 それから数日――飽く迄もこの精神世界での日数換算だが――の間、羅昂は光明氏と諸国行脚の旅語りをしたり、書庫に入り浸ったりして、時間を稼ぎつつ解決の糸口を探っていた。
 その間に悟空は、江流と共に朱泱に体術の稽古を付けてもらったり、寺の清めに参加したりして、少しずつ彼との距離を縮めていった。

「仲の良い兄弟みたいですねぇ♪」

 と目を細めて喜ぶ光明氏に対し、

「・・・猿をペットにして飼ってる気分です」

 とは、江流の言葉である。
 『三つ子の魂百まで』という言葉が脳裏をよぎったが、敢えて口には出さない羅昂だった。
 そんなある日のこと、
 書庫に納められた複数の文献から一気に知識を吸収していた――こういった類の術は行使可能だ――羅昂は、入り口付近に立った存在に気付き、呼び掛けた。

「――江流殿か」
「・・・凄いですね、振り返りもせずに」
「気配と足音でな。似通った背格好でも、悟空はそなた程静かには歩かぬ」

 そこまで言って、ふと羅昂は気付いた。
 江流にはこう言ったものの、この世界は全体的に他者の気配がかなり希薄だ。
 元々魔鏡に依って三蔵が強制的に見させられている『夢』の中だからだろう。
 更に言うならば、本来、盲目でありながら真実を映す羅昂の目は、三蔵を『光』として捉えるが、今の状況で江流を目の前にしても、そうとはならない。
 ここが精神世界というのもさることながら、魔鏡の創り出した優しい牢獄が、彼の魂が持つ『光』を遮っているのかも知れない。

「灯りも点けずにこのような所で、何を――」

 言いながら数歩、江流が書庫の中へと入ったその時、



 ガラッ ピシャッ



「「――っ!?」」

 江流の背後で引き戸が勢いよく閉じられる音がした。
 慌てて駆け寄った江流が戸に手を掛けて力を入れるが、びくともしない。
 心張棒を差し込まれたようだ。
 ドンッ、と木戸に拳を打ち付ける江流の耳に、木戸越しに複数の嘲笑が聞こえた。

「っくしょう、御客人のいる間は大人しくしてるかと思ってたのに、あいつら・・・中が暗いもんだから、俺しかいないと勘違いしやがったな」

 書庫の中へと入っていく小さな後姿と金糸の髪だけを眼に捉えたのだろう、奥にいた羅昂の存在に気付かぬまま、愚行に及んだ阿呆がいたのだ。

「その様子だと、光明殿や僧正殿の御眼の届かぬ範囲では日常茶飯事か。器の小さい者共よ」
「お恥ずかしい限りです・・・どうか、我が師には、この事は内密に」
「承知した。
 ――さて、それにしてもこれはどうしてくれような?」

 動かぬ木戸と、その向こうに在る複数の気配を睨め付ける。

「あいつらがここから離れたら、戸袋の辺りを蹴って心張棒を外します。羅昂三蔵様はそのままでしばしお待ちを――」
「いや、それには及ばぬ」
「?」

 鍵開けの術の応用で心張棒を動かすのが手っ取り早いのだが、それだけでは面白くない。

「まずは演者を集めよう」

 言うと、懐紙を取り出し、短刀で数か所切れ目を入れて人形(ヒトガタ)を作る。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 真言(マントラ)を唱え、人形(ヒトガタ)に息を吹き掛けると、人形は命を持ったかのように羅昂の手の上ですっくと自立した。
 灯りを点けていないため江流には見えていないが、何らかの術を行使している事は察したのだろう、視線に疑問符を乗せつつも、口は閉ざしている。

「一度しか言わぬ。悟空、朱泱殿を連れて書庫に来い」

 言の葉を沁み込ませた人形(ヒトガタ)は、羅昂の手からふわりと宙に浮かび上がると、書庫の引き戸の隙間から外へと飛び出した。
 天上に近い位置を擦り抜けたので、江流を閉じ込めた連中には気取られていない。
 目的の人物の耳元で、術者が封じ込めた言葉を一度だけ話す形代。
 この虚構の世界でも行使出来る、(羅昂にとっては)ごくごく単純な術だ。
 程なくして、

「お前ら、そこでたむろして、何やっている?」
「し、師範代・・・いえ別に・・・」
「書庫ってここ?羅昂、この中にいるのか!?」

 引き戸の向こう側が騒がしくなったかと思うと、心張棒の外される音と同時に引き戸が引かれ、

「羅昂!―――あ、江流もいた!!」
「なっ・・・お前ら、羅昂三蔵様に何という無礼を・・・!!」
「ち、違います師範代!俺達は羅昂三蔵様がいらっしゃるとは知らなくて・・・」
「馬鹿者!!この寺の名を穢す真似をしおって!!午後の鍛錬でしごいてやるから覚悟しろ!!」

 寺中に響く怒鳴り声に、馬鹿な連中は蜘蛛の子を散らすようにその場を逃げ去った。
 これで暫くは、江流に手出しすることはないだろう。

「・・・凄い・・・ですね」
「少々邪道な手段ではあるがな。それより済まない、先の約束を破ることになるやも知れん」

 ここまで派手な騒ぎになれば、光明氏の耳に入らない筈もない。

「あぁ・・・まあ、その時はその時です。
 このような事、別に珍しい事でもないので」

 皮肉気に顔を歪める少年に、羅昂は既視感を覚えた。
 生まれ持った外見と出自の異端さ故に、迫害を受け続けた幼い頃の自分。
 ――知らず、口を開いていた。

「・・・江流殿、そなたの前には多くの敵が立ちはだかろう、されど、そなたは決して独りではない。
 (しか)と己を持ち、己を――己と、己を信じる者を信じて進まれよ」

 そう言って、金糸の髪に軽く手を置いた――正確には置こうとした、その時、



 バチッッ



「「!!?っ」」

 大きな術同士の反発を受けたかのような強い衝撃と共に、羅昂の手は弾き返された。
 火傷を負ったかのように紅くなった皮膚はところどころが裂け、僅かに出血しているところもある。

「・・・・・・・・・これは・・・?」
「・・・・・・」
「え、何、どうしたの?」

 悟空が江流の肩越しにこちらを覗き込む。
 それを振り払うかのように、

「うわ、江流!?」

 江流は小さな身を翻してその場から走り去った。
 反射的に後を追おうとした悟空の前に、ヌッと太い腕が突き出される。
 腕の主は、朱泱だ。

「もうすぐ午後の鍛錬の時間だ、坊主、お前も一緒に来い。
 さっきの連中が逃げ出さんよう、見張っててくれると助かるぞ」
「え、でも・・・」
「さあさあさあ、今日は裏手の岩山が稽古場だ。それっ」
「わっ」

 筋肉の盛り上がる肩にひょいと乗せられれば、大人しくするより他ない。
 「さーて、あいつら〆る為に、今日の訓練メニューは普段の倍にすっかー」と呵呵大笑する朱泱に依って、悟空は午後の鍛錬へと連れ出されてしまった。
 残された羅昂は、書庫の入り口に佇みながら、思わぬ事態に唇を噛む。

 ―――拙い。

 魔鏡に、自分達が招かれざる客と知られてしまった可能性がある。
 これまでの江流の言動からして、先のような状況で謝罪の一言もなくその場から逃げるように去るなどという事は有り得ない。
 そして朱泱も、そんな江流を見咎めもせず、それどころか追い掛けようとした悟空を午後の鍛錬を口実に江流から引き離した。
 意識や感覚に殆ど違和が無いので失念しそうになるが、ここは三蔵の『望み』を核とした夢の世界だ。
 すなわち、この場にいる全員が、夢の維持の為、それを壊そうとする者を三蔵から遠ざけようと動く。
 だからこそ、江流との接し方には慎重を期すよう心掛けていた筈なのに。
 まさか、自分の行動がきっかけになるとは。

 しかし――

 自分は特に江流に向かって術を繰り出したわけでもなく、物理的な攻撃に及んだわけでもない。
 掛けた言葉がこの先少年の(しるべ)となる事を願い、頭に手をやろうとしただけである――若干、悟空の頭に手をやる感覚に類似したものはあったかも知れないが、それはさておき。
 見えぬ『力』に弾かれ傷を負った己が左手を眼前に持ち上げる。
 先程から治癒術を掛けようと試みてはいるが、全く変化が見られない。
 今の羅昂が精神の存在である以上、自身の肉体に用いる術式は無効なのだ。

 さて、どう出るか――

 痛む手を握りしめ、羅昂は書庫を後にした――







流石に夢の中の世界で寝ることは許されません。ブラック企業も真っ青の苛酷環境。
最初は寝られずに疲労ばかり溜まっていく設定だったのですが、考えてみれば肉体は眠っているのだし、夢の中で疲労を感じることはなさそうかなと思い直し、疲労ゼロのまま日数のみ経過する仕様にしたという経緯があります。







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