その日の夜―― 「羅昂!羅昂!大変だ!!」 「どうした悟空、騒々しい」 今日も今日とて江流と共に湯を使った悟空が、足音も荒く客間に飛び込んで来た。 昼間の事もあり、江流と接触出来るか不安だったが、入浴自体は問題なかったらしい。 しかし―― 「風呂ん中で聞いたんだ。江流が、光明様と旅に出るって!それも明日!!」 「私も聞いている・・・先程、光明殿から御話があった」 不寝番以外の僧達が就寝の支度をしているところへ朱泱が、客間にいる羅昂の下へは光明氏が訪れた。 曰く、これまで江流は幼さ故にこの寺の下のみで基本的な勉学を行ってきたが、10歳となり、この寺の書物は粗方読み尽くす程に非凡な才能を見せている。 光明氏はかねてから、江流の見聞を広める目的で各地の寺を拠点に諸国を廻る師弟旅を計画しており、それを実行に移す時が来たのだと言う。 ちなみに羅昂へ語った際は『親子旅』と言っていたが、そこまでわざわざ悟空に伝える気は羅昂にはない。 ――閑話休題。 「全ては魔鏡の描く筋書きだ。我々を邪魔な存在と判断したが故に、手足となるこの世界の人物を動かし、尤もらしい理由を付けて、玄奘殿・・・江流殿から引き離そうという魂胆だろう」 「俺達はどうなるの?」 「彼等の出立に合わせて、我々も此処を出る運びとなった。元々、私が光明殿への謁見を求める形でこの場所に入り込んだ以上、光明殿と江流がこの寺を出るなら、我々が此処に居座る理由が無い。 もとよりこの世界は江流殿を核としている。その江流殿が寺を出る以上、我々も共に動かざるを得まい」 「え、じゃあ4人で旅するんだ?」 「いや、最初に此処へ来た際の口上で、私が西方から来たと言ってしまってるからか、彼等は逆に西方へ向かうと言っている。最寄りの町までは同行し、そこから東西二手に分かれるということになってはいるのだが――・・・」 「何かあるのか?」 「言ったろう、この世界は江流殿が核であると。その江流殿と距離が隔てられた場合、我々は恐らく同じ道を延々と歩き続ける羽目になる――この世界で私と合流する前の事を、もう忘れたか?」 「あっ・・・」 言われて悟空は眼を瞬かせた。 羅昂より一足先にこの夢の世界へ来た時、一本道のどちらを向いて歩いてもいつの間にか元の場所に戻っていた事を、今更ながら思い出したようだ。 「もしくは、獣や妖怪、盗賊などを寄越して、我々を直接亡き者にするか――今の我々は精神のみの存在だ、この世界を彷徨い続けるにせよ果てるにせよ、元の肉体に戻れぬ状態が長く続けば、やがて肉体も滅びよう」 「ヤバいじゃんそれ!」 慌てふためく悟空。 「そうなる前に撤退する。 幸い自分達は、魔鏡の力で引き込まれたわけではなく、羅昂の術で意図的に潜り込んだに過ぎない。 羅昂自身の意思で肉体に還ることは可能だ。 「え、じゃあ三蔵は・・・」 「この世界の時間経過と現実のそれは同じではない筈だ、魔鏡が標的の 何より、焦りから深追いし過ぎて我々まで元に戻れなくなってしまっては、元も子もない」 「・・・・・・」 悟空の脳裏に、カミサマと対峙した時の事が思い浮かんだ。 最初はカミサマにいいように弄ばれ、文字通り手も足も出ない状態で撤退した。 ただ闇雲にぶつかっていくだけが戦いではないと、あの時初めて知ったのだ。 「取り敢えずは明日、この寺を発つ」 明日といっても、江流の眠っているとされる時間帯は具象化されない分、実質的にはあと数刻でタイムリミットが来る。 それまで何も出来ない自分の無力さに、悟空は歯噛みした―― 文字通り、瞬く間に夜が明け、それから二刻(4時間)弱、 朝の勤行と朝食を終え、光明三蔵と江流、羅昂と悟空は建物の外へ出た。 寺の者全員が見送りをするかと思いきや、見送りに出て来たのは僧正と朱泱だけだ。 光明氏曰く、朝の勤行の時点で既に皆からの送辞は受けており、これ以上仰々しくされるのは苦手だからということだった。 来た時同様、小難しい言い回しで辞去の挨拶をする羅昂を眼の端に捉えつつ、悟空は江流の様子を窺う。 自分が三蔵達と西行の旅に出る時は、わくわくと心が弾んだものだが、目の前の少年は、そのような素振りを見せず、普段通り飄々とした様子だ。 だが、その紫暗の その事が、ますます悟空を複雑な思いにさせる。 自分達が夢に干渉するまではこの寺での平穏な日々が、干渉に気付いたら次は師弟2人きりの旅の日々が、 形を変えながらも、魔鏡は三蔵の望みであった『生涯師に仕える』事を、夢の中で叶え続ける。 そうして、三蔵の精神を取り込み続け、肉体へ戻ることを阻むのだ。 ――そんなの、ダメだ。 「――挨拶も済んだことですし、さて、参りましょうか」 「はい、お師匠様」 光明氏の声に、江流が応える。 歩き出す光明氏、江流、羅昂に対し、根が生えたかのようにその場を動かない悟空。 「――悟空?」 ――このまま、行っちゃダメだ。 綿菓子のように甘く優しい世界に包まれつつ、三蔵の本体は着実に死へと向かうことになる。 ――行かせちゃ、ダメだ。 いつまでも立ち尽くす悟空に、真っ先に焦れた江流が、悟空の下へと駆け寄った。 「おい、お二人を煩わせるんじゃない。さっさと歩――」 「・・・・・・・・・ょ」 「あ゛?」 怪訝な顔をする江流の腕を、後先考えずにがっしと握る。 「痛っ・・・!」 「三蔵、目を覚ませよ!こんな 羅昂に禁じられていた事も忘れ、気が付けば三蔵の名を叫んでいた。 焦ったのは羅昂だ。 このまま同じ名を呼び続ければ、不穏分子として金山寺の人間に捕えられかねない。 ――予定より早いが、肉体に戻すべきか。 咄嗟に光明氏と悟空達の中間地点まで掛け戻り、術式を繰り出せるよう手を手印の形にして様子を窺う。 その間にも、悟空と江流の言い争いは続いている。 「なっ・・・、何訳の解んねぇこと言ってやがる!つーか放せ!」 「放さねぇ!悟浄も八戒もずっと待ってんだからな!早くこんな夢見るのやめて元の世界に戻ろうよ!」 「誰だよそれ?夢だの元の世界だの、テメェ湧いてやがんのか?」 「湧いてねぇ!いいから行っちゃダメだってば!」 「ざけんな、放しやがれ!」 「放さねぇ!」 「放せ!」 「放さねぇ!」 「!?っ」 力の限りしがみ付く悟空を引き剥がそうと無茶苦茶に腕を振り回したせいか、江流の袂から何かが勢いよく飛び出した。 紅玉の――数珠? ゆっくりと落下していく数珠を目にした羅昂の脳裏に何かが閃き、気が付けば叫んでいた。 「悟空、その数珠を壊せ!」 「え?」 「なっ!?」 急な命令に慌てつつも数珠を掴もうとする悟空。 そうはさせじと同様に手を伸ばす江流。 紅い数珠の2ヶ所を未成熟な手が握り、それぞれが強く手元に引き寄せた瞬間、 プツンッ 小さな音と共に、千切れた糸から解き放たれる磨き上げられた紅玉。 八方に飛び散る数珠玉の一つ一つが、突如眩く光りだした。 建物も地面も人すらも、ほとばしる光に飲み込まれていく。 悟空も羅昂も眩しさに腕で顔を覆いながら目をきつく瞑った。 光が収まるのを感じて恐る恐る目を開けると―― 「――三蔵!」 光がそのまま凝固したような金色の髪の持ち主が、苦々しげな表情で悟空達の目の前に立っていた。 「三蔵・・・あ、俺・・・?」 発せられた声がこれまでより低めである事に気付き、よく見れば、自分も本来の姿に戻っている。 それは、この夢の世界の主導権が『 光明氏達も建物も地面すらも数珠玉の光に飲み込まれたまま消え去り、悟空達は何も無い真っ白な空間に立っている状態で。 魔鏡の創り出した幻想世界は消滅し、現在は通常の三蔵の夢の中にいるのだ。 「――やはり、数珠の中に囚われておられたか・・・」 「え、数珠って今の?」 「そうだ」 「何が『やはり』だ、今の今まで気付かなかったくせに。肝心なところで役に立たん目だ」 「相済まない。現実世界とは勝手が違うものでな」 言葉とは裏腹に謝意の欠片も無い口調と表情に、三蔵のこめかみに青筋が浮き出る。 「・・・でも良かった・・・三蔵・・・・・・っ 安堵したのも束の間、その頭に思い切りハリセン――夢の中でも使用可能らしい――を喰らう悟空。 「何すんだよ三蔵!!」 「ったく、人の夢ン中まで入ってきて煩く喚いてんじゃねぇよ、この騒音猿が!」 「何だよ、ソレ!?せっかく起こしてやろうとしてたのに!」 「あぁ?腹一杯になりゃ横になって腹の虫が鳴くまで目ぇ覚まさねぇどっかの馬鹿猿とは違うんだよ、わざわざ起こされんでも 再びハリセンが振り下ろされる。今度は三連続だ。 「いってぇー!」 「なら玄奘殿、その言葉通りこの片は御自身で付けられような?」 「チッ・・・当たり前だ」 「カタって?――そういえば、江流は?」 |
やっと三蔵様復活です。 さてそうなると、今までやきもきしつつ接していた江流は何だったのか? 次頁にて種明かしです。 |
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