「こちらでお待ち下さいませ。ただいまお茶をお持ち致しますので・・・」 翌日、借りた傘を持って三蔵が朧家を訪れると、事前に言い含められていたのかすぐに洋風の客間へ通された。 計都は現在仏間で客人と会っているらしい。 程なくしてノックと共に扉が開き、良鈴が茶器を乗せた盆を手に入って来た。 粗茶ですが、という言葉と共に差し出された茶はしかし最上級の物で。 思わず一口で飲み干した三蔵に、新たに茶を注ぎながら良鈴が口を開いた。 「・・・計都様が誰かのお越しを心待ちにされるなど、本当に初めての事でして・・・」 その言葉に三蔵が目線だけを投げ掛ければ、ここぞとばかりに話し出した。 古今東西、女という生き物は考えを胸の内だけに留めていられないものである。 良鈴は代々この家に仕えてきた召使の娘で、計都の母親とは歳が近いこともあって友と呼べる程に仲が良かったという。 時は流れ、成長した計都の母親は一族の方針に従い、兄妹程に近い血筋の親族と婚姻の契りを交わした。 しかし、血族結婚を繰り返した家系の業は生まれてきた子供に過酷な運命を与えた。 銀の髪を持った、目に光を宿さぬ子供。 それでも計都の両親は、我が子に精一杯の愛情を注いだ。 しかし、計都が12歳の時、この当主親子を悲劇が襲った。 国宝の盗難を装った保険金詐欺とその国宝の流出が発覚し、計都の父親が罪に問われたのだ。 もちろん、計都の父親に心当たりなどある筈もない。 けれど次々と上げられる証拠を前に、彼は為す術もなく当主の座を追われ、ついには投獄の身となった。 そして、程なくして罪人の烙印を押されたまま獄中で病死したのである。 「残された奥様の悲しみは計り知れないものだったに違いありませんわ。まだ幼い計都様の為にと気丈に振舞われていたものの、とうとうお倒れあそばして――」 そっと目頭を押さえる良鈴に、三蔵は鋭く問い掛けた。 「その後、この家の連中が一斉に命を落としている筈だが?」 「!!」 予想もしなかった問いに、良鈴はビクッと身を竦ませた。 「・・・あれは・・・お食事の際の出来事でしたので・・・えぇ、そう、生の貝が悪かったんでございましょうね。 計都様は生貝がお嫌いでしたので、幸運にも難を逃れたんでございます・・・」 「・・・そうか・・・」 やはり正直には言わないか。 旧家に代々仕える者の忠義心は厚く、滅多なことでは雇主の不祥事は口に出さない。 別の方法を考える必要がありそうである。 「・・・お独りになられた計都様に言い寄る輩は数知れず――以来、計都様はこの屋敷に閉じこもって殆ど人と顔を合わせない暮らしを送ってこられたのでございます・・・」 「今来ている客は?」 「計都様にとっては伯母君にあたるお方に所縁のある方だそうで、お線香を上げたいと仰られては断りようもなく・・・」 でもやはりお断りするべきでした、と溜め息をつくところを見ると、結局はその客も見合い話を持ち込んでいるらしい。 その事実に、訳もなく苛立ちを覚えるのはなぜだろうか―― 「あ・・・計都様・・・」 良鈴の声に顔を上げれば、当の計都が幾つもの書類を手に客間に入って来たところだった。 「申し訳ありません法師様、お待たせしてしまいまして・・・良鈴、これを処分して」 「やはりお見合いのお話でしたか・・・」 「見えないのにお見合いだなんて、滑稽だわ」 そう言って書類を全て良鈴に手渡すと、三蔵に対して優雅な礼を送り、向かいのソファに腰を下ろした。 「法師様には再びお越しいただけて、嬉しい限りですわ」 「借りたモンは普通返すだろう・・・それとその『法師様』ってのはどうにかならんのか」 「・・・ですが・・・」 「俺は仕事でここに来たわけじゃない。職業名で呼ばれるなんざまっぴらだ」 「・・・では・・・玄奘様・・・これで宜しいでしょうか?」 「・・・・・・」 初めて呼ばれる名に、三蔵は少し驚いた。 長安の寺院に『三蔵法師』として着任して以来、周囲の人間は自分を『三蔵』の名で呼ぶ。 そう、大抵の人間は自分を『三蔵法師』というモノとしか見ていない。 『三蔵法師』であれば、それは『自分』でなくても良いのだ。 馬鹿馬鹿しい肩書き。 師の形見を捜すという目的があるとはいえ、自分個人の存在の希薄さを思い知らされる。 そんな自身の存在を再認識させた、計都の一言。 「・・・お嫌、でしょうか・・・?」 「・・・いや、悪くない・・・」 呟きながら、自嘲の笑みを隠すように茶碗を口元に運んだ。 ――ザマァねぇな―― 「厄介な客だったそうだな・・・」 茶を飲んだ後、2人は庭に出た。 庭というより庭園と言った方がいいかもしれない。 木や石が芸術的な配置で置かれている間を、石畳の道が優雅な曲線を描くように伸びている。 その道を歩きながら三蔵が口にしたのが、先の台詞である。 「伯母の友人だと仰ってましたわ。 「見合い話とか言ってたが?」 「・・・滑稽ですわ」 美しい顔を曇らせ、低く呟いたのは、先程客間で洩らしたのと同じ台詞。 「しかし、一人でこの家を維持することは出来んだろう」 現在は良鈴の力添えもあるが、彼女の歳を考えるとそういつまでもというわけにもいかない。 『計都様が婿君を取られることが、この家を存続させる唯一の道――』 良鈴もそう言っていた。 「確かに仰る通りですが・・・だからといって朧の名を得る事しか考えない人と添い遂げなければならないなんて私は嫌ですわ。 これまで話をしたこともない人と一緒になるなんて――」 計都の言う通り、彼女の下に寄せられる見合い話はどれも旧家・名家の次男坊か三男坊である。 家督を継ぐことの出来ない良家の男子が、名家の婿の座を狙うのは当然のこと。 しかしそんな人物が、真に彼女を愛することが出来るだろうか? 「この家に生まれ、当主となった以上、この屋敷と財産を守るのは私の義務――ですが、意に染まない人と婚姻の契りを結ぶくらいなら、私は独りのまま一生を終えますわ。 そうすれば家系断絶としてこれらは全て国の管理下に納められますもの」 「・・・確かにな」 言いながら、三蔵の中で計都に対する疑惑が薄れていくのを感じた。 計都は、当主の座を狙って一族を殺害するような人間ではない。 朧の名に対するプライドはあるが、家名や財産に執着する程腐ってはいない、むしろその逆だとさえいえる。 そんな三蔵の心の内を知ってか知らずか、計都は続ける。 「きっとこの屋敷は美術館になるのでしょうね。あぁ、蔵には国宝の仏像もありますの。 私の死後は玄奘様のいらっしゃる寺院に寄贈するように致しますわ」 どこか楽しそうにそんな事を言う計都に、三蔵の心のタガは完全に外れた。 「・・・勝手に決めてんじゃねーよ」 「・・・え?」 「朧の名や財産しか目に入らねぇ奴の事なんざ考える必要はねぇし、それを愁いて死ぬ事を考える必要もねぇ。 お前自身を見ている人間が、ここにいるだろうが」 「!!――っ」 計都の顔がみるみる朱に染まる。 「で、ですが・・・私はこのような眼ですのに・・・」 「それがどうした。見えなくても俺の事は『見えて』いるだろう――心で・・・」 「ぁ・・・」 「朧の名なんざくそくらえだが――ここにいる事は嫌じゃない・・・」 願わくは、ずっとこの少女の傍に―― そっと抱きしめると、腕の中で一瞬強張る身体。 「――嫌か?」 それに対し、計都は小さくかぶりを振る。 嫌な筈がない。 生まれて初めて『計都』である自分を見つめる暖かな眼差し。 共に、生きていきたい―― 「「・・・・・・」」 想いのまま、白い肌に映える薄紅色の唇に、三蔵は自分のそれを重ねた。 口付けという行為は知っていても、それに何の意味があるかなんて考えたこともなかった。 しかし、本能が突き動かす情動のままに唇を重ねて、その意味を理解した気がした。 互いの吐息を交わす――生きている事の証を預け合うということは、すなわち自身の命を差し出し合うようなものである。 それ程までに、愛しい存在―― ところが―― 「――!?」 背後――正確には屋敷の上層階――から視線を感じた三蔵は、反射的に計都から離れた。 振り向いて見上げた三蔵の眼に入ったのは、窓を離れていく人影。 その動きに合わせてサラリとなびく髪の色はごく淡い茶色で、陽光を受けて金色にも見えた。 何だ、今のは・・・ 無粋な使用人か――それにしては視線に含まれていたのが好奇ではなく嫌悪だったような気がするのが解せない。 「・・・玄奘様・・・?」 「あぁ、屋敷の中に邪魔な観客がいただけだ」 目が見えないため、突然三蔵が離れた理由が解らず不安がる計都に、安心させるために軽く説明した、だけだったのだが―― 「――っっ!」 三蔵の言葉を聞いた途端、計都の白い顔が更に色を失い、蒼白になった。 「おい、平気か?」 「・・・え、えぇ・・・」 これも血の気を失い、わなわなと小刻みに震える唇を手で隠す計都に、三蔵はなぜか違和感を覚えた―― 「・・・何だその顔は・・・」 寺院の三蔵の部屋。 向かい合う青年に思い切り不機嫌そうに尋ねる。 「・・・そりゃあ誰だって驚きますよ。まさか貴方の口からそんな言葉が出てくるなんて――」 「ごたくを聞いていられる程俺は暇じゃねぇ。で、どうなんだ?」 「好きになった女性の事を心配する暇はあるのに、ですか?」 「っ――八戒!!」 「はい、何でしょう?」 「・・・・・・」 にっこりと細められる翡翠の瞳に、三蔵は渋面を彩らせる。 あの時、計都の反応に違和感を覚えたものの、それが何なのか解る程三蔵は女性の心理に聡くはなかった。 しかし心の隅に引っかかるものはいつまで経っても消えず、逆にその存在を強めるばかりで。 結局、悩んだ挙句八戒に相談を持ち掛けたのだ。 そういった事に関しては当然悟浄の方が詳しいのだが、彼に相談などもっての他である。 散々からかわれるのは火を見るより明らか。 何より、彼より弱い立場に立つなど自分のプライドが許さない。 少々――どころではないが――リスクはあっても、まだ八戒の方がマシ。 そう判断して呼び寄せたのだが―― ・・・人選ミスか―― 『一を聞いて十を知る』という言葉がピッタリ当て嵌まるこの青年は、三蔵の僅かな言葉と態度から全てを悟った。 巧みな誘導尋問にあっさり引っかかった三蔵は、計都と出逢った経緯に至るまで詳細に話さざるを得なくなったのだ――家名以外は。 最初に口止めをしている以上他人に話すことは決してない――その辺りが、三蔵が彼を信頼する要因たらしめるのだが――が、それは彼が人畜無害という根拠にはなり得ない。 真綿で絞めるようにじわじわと、それも心理作戦で攻めるのが彼特有の方法。 リスク計算が甘かったとしか言い様がない。 「冗談ですよ、誰だって一生に一度はあることです。心から祝福しますよ」 にっこり笑ってそう言われても、どこか胡散臭く思う三蔵を責められる者はいないだろう。 「――で?」 同じ事を繰り返して言う事を嫌う性格上、たった一文字に凝縮して投げ掛ける。 「簡単です。キスしているところを見られたと知れば、10人中8人は顔を赤らめます。残り2割は平然としているでしょうか。とにかく、疚しい相手でない限り、蒼ざめるなんて事はあり得ません」 「疚しい相手?」 「浮気や不倫の相手とキスしている現場を、相手の恋人や奥さんに見られた時・・・とか?」 「・・・・・・」 質問したのは自分だが、何が悲しくて同じ男から昼ドラ紛いのストーリーを聞かせられなきゃならないんだか。 ひくつくこめかみを押さえ、ズレた話を軌道修正する。 「それに当て嵌まらないとすれば、どういう事になる?」 「考えられる事としてはそうですね・・・建物のその部分は人が入れないようになっている、だからそこから誰かが自分達を見ているなんてあり得ない――なんてのはどうです?」 「その可能性は否定出来んが・・・顔色を変える理由としちゃ弱くねぇか?」 「そうですね・・・もしくはその部屋は幽霊が出る事で有名な部屋だとか・・・あぁ、もしかしたらつわりなんじゃないですか?」 「・・・俺を河童と一緒にするな・・・」 「冗談です。何にせよ、その方には何か三蔵に知られたくない事がありそうですね・・・」 その言葉――今度は信用出来る――に、三蔵は再度考え込んだ。 やはり、あの大量死と関係あるのか―― 「心当たり、あるようですね?」 「・・・・・・」 鋭い質問に、チッと舌打ちながら三蔵は計都の親族の大量死について語った。 「・・・三蔵は、何が心配なんですか?」 三蔵が話し終わった後のポツリと呟くような問い掛けに、三蔵は眉根を寄せた。 「・・・質問は相手に判るように言え」 「その方の親族が一斉に不審な死を遂げた・・・三蔵は、その方が親族を殺したかも知れないと、そう、疑っているんでしょう? もしそうだとしたら、貴方はどうするんですか?」 それに対して返されたのは、怒気を孕んだ低い声。 「随分見くびられたもんだな。俺がその事を気にするのは たとえ親族全員が死んだって、そいつらと繋がりを持つ者は大勢いる。 人の口に戸は立てられんからな、いつ真相を知った人間が報復行動に出るか分かったもんじゃねぇ――そいつを自覚させるためだ」 「因果報応、ですか――」 「・・・そんなところだ――」 そうは言ったものの、これだけ不審な点が挙がっても計都を疑う気にはなれないのも事実で。 それを『惚れた弱み』とか『恋は盲目』などというのだが、本人に自覚が無いのが笑える。 「取り敢えず、こんなところでウジウジ悩んでいるなんて貴方らしくもないですよ。 ホラ、『事件は現場で起きている』って青島君も言ってますし♪」 青島って誰だ・・・ よく解らない引用に、痛む頭を押さえる三蔵であった―― |
八戒さんが黒くて黒くて如何しましょう(笑)。 香月の思考回路は八戒と似ている部分が多く、非常に書き易いものですからついうっかり; ちなみに、原作外伝での天ちゃんの台詞とかぶらせてみました。 |
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