――――何!? その言葉に、一瞬逸れる意識。 振り下ろされる刃。 そして・・・自分に覆い被さる影――『あの日』と重なる・・・ 短刀が肉を刺し貫く不快な音が、なぜか克明に聞こえた―― 「――計都!」 苦痛に歪む美貌。 崩れ落ちる身体。 その身体を受け止めたが、見る間に鮮血が計都の胸元を染める。 その光景にひるんだのか、狂女は引き抜いた短刀を取り落とし、2、3歩下がったきり立ちすくんだ。 「おい、しっかりしろ!」 ぐったりと力なく横たわる身体を、ガクガクと揺さぶる。 傷が痛んでもいい、とにかく意識を取り戻させることが先決である。 『大切なもの』を再び失うなんて――あってたまるか―― 「・・・ぁ・・・玄奘、様・・・」 「!・・・気が付いたか――肺はやられてないようだな・・・」 自分を気遣う声が、 この身を支える腕が、 誰のものかなんて、考えるまでもなく。 『失いたくない』――その一心で身を投げ出した、その相手。 「・・・玄奘様・・・『大切なもの』・・・、私にも、解りました――・・・」 痛みをこらえ、愛しい存在に向かって微笑み掛ける。 それは、三蔵をして一瞬状況を忘れさせる程に美しい笑顔―― 「・・・遅ぇんだよ、馬鹿が・・・」 そんな言葉と苦笑を返して。 とにかく止血して傷を塞がねぇと――そう思案する三蔵の横を、一つの影がよぎった。 「!?」 自分達と狂女の間に立つ人物。 その手には、狂女が手落とした筈の短刀。 両の手で握られたそれは、誰が止める間もなく狂女の胸へと突き立てられた―― 「・・・お許し下さい・・・奥様・・・」 床に倒れた狂女の前にひざまずき、泣き崩れるのは――良鈴。 「奥様・・・ その光景を見やる三蔵の腕の中で、計都が呟いた。 「・・・ぃ・・・」 「?――何を言った?」 「・・・お願、・・・です・・・、良鈴・・・、・・・を・・・――」 「おい!」 それっきり意識を失った計都に、三蔵は必至で呼び掛けた。 けれど、その呼び掛けに対して鋼玉の瞳が開けられることはなかった―― 「――・・・っと、・・・これで傷口は完全に塞がりました。脈もほぼ正常ですし、恐らく出血性のショックを起こしかけただけでしょう。 もう大丈夫だと思いますよ――」 「と思う、じゃお前を呼んだ意味ねぇだろーが」 「そう言われましてもねぇ、僕は医者じゃないんですよ?」 「医者じゃ傷を完璧に塞ぐことなんざ出来んだろう」 「はいはい、未来の花嫁さんにキズがついては困りますからね♪」 「・・・八戒・・・」 「はい、何でしょう?」 「・・・・・・・・・・・・」 三蔵の客室。 騒ぎを聞いて駆けつけた使用人達に死体の移動と良鈴――恐らくは自害するつもりだったであろう――の見張りを言いつけると、三蔵は計都を抱きかかえてこの部屋に運び込んだ。 肺は傷付いていないものの、予断を許さぬ事態である事に変わりはない。 間が時間だけに医者と連絡が取れず、使用人の一人が呼びに行っているが、それでも30分はかかる。 そこで三蔵は八戒を呼び出した。 『何が何でも10分以内に来い。でねぇと殺す』 呼び出し、というよりは完全に脅迫である。 やれやれですねぇ、と苦笑しながらもジープを飛ばした八戒は、何とか制限時間内に朧家に辿り着いたのだ。 本来ならばジープでも20分以上はかかる距離である。 深夜ともいえる時間帯で、更に雨は止んでいたとはいえ、舗装されているわけでもない道路は水溜りだらけ。 それをものともせずフルスピードで走り続けたジープはお陰で完全にオーバーヒートしてしまい、到着と同時に伸びてしまった。 現在は体中の泥を落とされた後洗面器に張った水の中に身を沈め、更にはタオル代わりの濡らしたガーゼを額に貼り付けて、長い首を柳のように洗面器の縁から垂らしている。 「流石に人の命がかかっていますからね、それも三蔵の未来の花嫁さんで。背に腹は変えられませんが、それでもジープには本っ当に可哀相なことをしたと思いますよ。何せアクセル踏みっ放しで10分間、150キロは出てたんじゃないでしょうか? 僕だってこの眼ですからね、そうでなくても運転には細心の注意を払わないといけないというのに、しかも夜中ですよ?視界が悪いったらないですよ。 おまけにそれだけ気を張り詰めさせた後で『傷跡が残らないように完全に塞げ』だなんて、僕の気功にも限度があるんですからね?それなのに貴方という人は・・・」 「・・・もういい、判った。後で果物の詰め合わせでも届けさせる。それでいいだろ」 放っておけば延々と続くであろう八戒の愚痴――というより嫌味――を、げんなりとした様子で遮る。 ちなみに果物はジープの好物である。 「僕の方はどうしてくれるんです?まさかハムの詰め合わせだなんて言わないで下さいよ? 僕は悟空じゃないんですから」 言い分は尤もだが、何気に酷い事を言う八戒である。 「・・・計都の家名と引き換えでチャラにしとけ」 たかが家名、されど家名。 即ちこの時点で八戒は桃源郷屈指の名家の当主とのコネクションを手に入れた事になるのだから、その価値は金銭では測れない。 以前八戒に相談を持ち掛けた際も、その辺りを危惧して姓だけは明かさなかったのだが、先程呼び出す時点でそうも言っていられず、結局、計都が朧家の人物である事がバレてしまったのである。 「・・・仕方ありませんね、そういう事にしておきましょう。それに・・・」 「?」 「僕に相談して正解でしたね。こんな綺麗な人、悟浄が見たら何て思うでしょうね?」 「・・・あいつはこういうタイプには手を出さんだろ」 「いやぁ、案外本気になるかもですよ?」 悟浄が本気になる云々の前にお前の言葉自体が本気なのか、と言いたいのを辛うじてこらえる。 「・・・取り敢えず黙っておけ」 「判りました、と言いたいところですけど・・・」 「・・・何だ・・・」 「いえね、悟浄が賭場に行っている間に呼び出されたもんですから、一応連絡先をメモして置いといたんですよ。 地図と照らし合わせればこの家の事ぐらい簡単に判るんじゃないかなー、と・・・」 あはははは、と渇いた笑いを発する八戒に、頭痛を覚えるのは気のせいではないだろう。 尤も、八戒だって屋敷に着くまでは計都が朧家の者だとは知らなかったのだから、彼を責めるわけにもいかない。 「・・・大丈夫ですよ、悟浄は人のものに手を出す程堕ちてはいません。 ましてや、三蔵の想い人なら尚更です」 命に関わりますからね♪ 「・・・・・・・・・・・・」 どっと押し寄せてくる疲れに、三蔵が深い溜め息をついた時。 「・・・ん・・・」 ごくごく小さな声が耳に飛び込んで来た。 「おや、お姫様のお目覚めですね。 こーゆー時は王子様が手を握っておくものですよ♪」 「・・・つくづく恥ずかしい奴だな、お前・・・」 そんな三蔵の呆れた視線などどこ吹く風で、八戒は部屋を後にした。 『お邪魔虫は退散しませんとね♪』という言葉を残して―― 八戒が部屋を出てから程なくして、瞼が開き極上の鋼玉が現れた。 「・・・玄奘様・・・」 玲瓏な声音が、想い人の名を紡ぐ。 意識を取り戻して気付いた、左手の感触。 それが彼の人の手である事が判らない筈がない。 何のかんの言いながら結局握った手を、照れ隠しに舌打ちながら離し、三蔵は誤魔化すように尋ねた。 「傷は塞いだ――痛みは無いか?」 超の付く程簡潔な言葉だが、そこから限りなく優しく、暖かな想いが伝わる。 小さく頷いた後、気がかりだった事を尋ねようと口を開いた。 「・・・あの・・・」 けれど、続く言葉を口に出すことは出来ず、そのまま口篭ってしまう。 「あの女は死んだ――医者を呼ぶまでもなく、ほぼ即死だ」 それを聞くや、計都はいきなり布団を引っ張り上げ、三蔵に背を向けてうずくまった。 しかし―― 「痛っ――」 傷口は塞がっても、深層部の細胞の損傷はまだ残っている。 体を動かしたことで計都を襲った激痛に、小さく苦痛の声を洩らす。 「急に動くんじゃねぇ。安静に――」 そう言って体勢を直させようと、三蔵が計都の肩に触れた瞬間、 「見ないで――見ないで下さい!」 半ば悲鳴のような声を上げてその手を払いのけ、更に小さく縮こまる。 「・・・計都・・・」 計都は涙を見せたくなかったのではない。 計都が母親の死を耳にした瞬間、ほんの一瞬だけ見せたその表情。 目が見えないため喜怒哀楽が表に出にくい計都だが、その時その美しい顔に浮かんだのは、明らかに安堵の表情。 「最低、ですわ・・・母親が死んだというのに・・・泣くことが出来ないなんて――」 それどころか、三蔵が傍にいなければ笑っているかもしれない。 それを気付かれたくなくて、顔を隠したのだ。 それでも尚込み上げてくる可笑しさ――何に対して? 泣けない自分が? 自分を縛る戒めが一つ消えた事が? それとも――最後まで自分を娘と認識しなかった母親を喪った、哀れな自分が? ――ワカラナイ ――ワタシハ、ドンナカオヲスレバイイノ? 「好きな顔すりゃいいだろ」 「・・・?」 「泣こうが笑おうが喚こうが好きにしろ。所詮親も他人だろうが――他人の痛みを分かち合おうと思う方が傲慢なんだよ」 「・・・軽蔑、なさいませんの?――貴方様は、あんなに悲しんでいらっしゃったのに・・・」 雨の音と共に、その嘆きが聞こえる程に―― 「・・・俺が失ったのは、血の繋がっていない育ての親で――そして師でもあった人物だ・・・ 俺を生んで――そして河に捨てた親の事なんざ、考えたこともねぇ・・・」 「!!――」 初めて聞いた三蔵の過去に、驚いてゆっくりと身を起こす計都。 目が見えなくても、そういった動作は共通らしい。 「血が繋がっているとか自分を生んだとか――そんなのは大した事じゃねぇ。 誰を想うかなんてのは他人が決める事じゃない、自分が感じる事だ。 あの女がお前にとって戒めの一つでしかなかったのならいいじゃねぇか、笑えよ」 そうぶっきらぼうに言い放った時。 「・・・ぁ・・・」 白磁の肌を滑り落ちる、水晶のような雫。 鋼玉の瞳に溢れる熱いもの―― 「・・・笑えって言われて泣くってのはどういうことだ?」 「・・・違いますの・・・」 「?」 「悲しいわけじゃありませんの――それよりも嬉しくて・・・」 死んだ母親が自分にとって何だったのかなんて、もうどうでもよかった。 自分の感情を目の前の人物に軽蔑されなかった事。 ただそれだけが嬉しくて―― 「・・・・・・」 涙に濡れて輝きを増す鋼玉に惹かれるまま、三蔵はその瞼にそっと口付けを落とした。 ピクリと震える身体。 そのまま花の蕾のような唇を塞ごうとした時―― コンコン 「「!!っっ」」 突然のノックに、慌てて身体を離す初々しい恋人達。 「お取り込み中すいませ〜ん、お医者さんが往診に見えたんですけど〜」 人の良さそうな笑顔でドアから顔を覗かせたのは、先程出て行った筈の八戒。 「って何でお前が来なきゃなんねぇんだ?」 「あれ、本当にお取り込み中だったんですか?」 「っ!・・・」 痛い所を突かれて黙ってしまう辺りが、八戒をして三蔵を『解りやすい』と評価させる所以である。 「アハハハハ、冗談ですよ。いえ、僕はジープを連れて行くのを忘れてましてね、引き取りに来たんです。そうしたら丁度こちらのお医者さんと一緒になっただけで・・・」 前半の台詞を聞いて、ジープの存在をすっかり忘れていた三蔵は慌てて振り向いた。 先程の自分の行動をジープに見られていれば、八戒に報告――なぜか八戒はジープの言わんとする事が理解出来るらしい――される危険性が高い。 一瞬冷や汗が出るのを感じた三蔵だが、ジープがまだ洗面器の中でグッタリとしている姿が目に入ると、胸を撫で下ろした。 ・・・飼い主共々人騒がせな奴らだ・・・ ジープに罪はないものの、そう思わずにはいられない三蔵であった。 診察の間廊下に追い出されていた三蔵は、医者が出て来るのと入れ違いに部屋へと入った。 八戒(With ジープ)は医師に付き添っていた女中に、客室へと案内されて行った。 真夜中に、しかも無謀な運転の後でありったけの『気』を放出した八戒の疲労は並大抵のものではない筈。 本来ならば既に倒れていてもおかしくはないのだ。 自責の念などというものとは――唯一の例外を除いて――縁もゆかりも無い三蔵だが、明朝の毒舌攻撃を想像してしまうと思わずげんなりしながら、寝台の傍にある椅子に腰を降ろした。 「・・・どうだ?」 自分でもおよそ聞いたことがないような気遣わしげな声が、自身の口から発せられる。 「鎮痛剤と化膿止めのお薬をいただいだけで・・・凄いですわね、傷口が見当たらないと先生が仰ってましたわ・・・」 「あぁ・・・」 「先程先生と一緒に来られた方――あの方ですのね?」 「判るのか?」 「声の響きが――ここから感じられる『気』と同じ感じが致しましたので・・・」 そう言って、傷を負った部分に手を当てる。 その感覚の鋭さに、流石の三蔵も驚愕の色を隠せなかった。 「ちょっとした知り合いだ。気功が使えるんで呼び出した」 「こんな夜中にですの?先生は11時だって仰ってましたけど・・・?」 「ほっときゃ傷が残るだろうが」 「・・・残っても、良かったんですけどね・・・」 半ば独り言のように呟かれた言葉に、馬鹿言うな、と言いかけて――止めた。 「良鈴は、もっと辛い筈ですわ・・・」 死体の傍で茫然自失状態であった良鈴は、その後医師によって安定剤を注射され、今は眠っているという。 幼い頃から計都の母親を見てきたという彼女。その繋がりを己の手で断ち切った心の痛みは、どれ程のものだろうか。 「・・・お話致しませんとね・・・全て――」 言いながら、長い長い溜め息をついた―― |
黒八戒さん再来(笑)。この時点で気功による治療は既に出来ることになっています(気功砲が出来るのは西行の旅初日、というのは原作第一話から見て取れます)。 嫁入り前の想い人の身体に傷が残るのは、流石に三蔵様でも許し難い事なのでしょう。 桃源郷に於ける連絡手段がよく分かりませんので、その辺りはぼかしてしまいました。 ・・・伝書鳩なんて嫌です(汗)。 |
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