桃源郷はその広大な土地ゆえ、幾つかの地方国家が存在し、普段は独立行政を行っている。 計都の故郷の龍都国も、そういった小国の一つだった。 龍都国は桃源郷で唯一翼竜の繁殖が確認されている土地であり、卵から育てれば人に馴れやすい種の翼竜が、国王の管理下で飼育されてきたという。 大抵の翼竜は、成長後国の守護に務めるようになるのだが、例外的に他国との和平の手段に用いられる事もあり、そのうちの1匹がジープということになるらしい。 「――20年程前から、産まれたばかりの卵に他の物体や生命体の情報を記憶させ、孵化した個体に記憶させたものに変身する能力を与える技術が急速に発達しました。もちろん、それは禁忌とされる『化学と妖術の合成』ですわ・・・ですが、大人達は貴重な竜に更なる付加価値が付く事に夢中で、それが世の理を曲げる事になるとは考えもしなかったんですの・・・」 だが、妖化学技術を推進することに力を入れる余り、国は財政が立ち行かなくなり、大臣である計都の叔父を首謀者とするクーデターにより、計都の父は廃位に追い込まれた。 だが、実際は、無理な予算の配分を行い、財政を狂わせたのはこの叔父である。 計都の父は、実の弟に裏切られたのだ。 両親は捕らえられる間際に計都に胡弓とアスコット、そして最低限の物を与えて国外へ逃げるよう指示し、そこから計都の長い逃亡生活が始まった。 人気のない場所では獣に怯え、人ごみの中では無法者に怯え、それでも胡弓を奏でることでコミュニティに溶け込む術を身に付けていった。 そして運良く旅芸人一座に加わることが出来、比較的安全な場所を確保出来たと思った矢先、その事件は起こった。 何者かが一座の座長に金を渡し、計都を移籍させるよう要求したのだ。 座長から話を聞かされた計都は、疑問を抱いた。 一座には、もっと熟達した弾き手もいるし、見目麗しい弾き手もいる。 ほんの子供である自分を、胡弓奏者として金を出して引き取りたいと思うものだろうか。 漠然とした不安にかられた計都は、その土地での興行終了と同時にキャラバンを抜け出し、アスコットと共に近くの山へと隠れて様子を窺った。 その時目にした光景を、計都は忘れる事が出来ない。 計都を引き取りに来たらしい数人の男達は、計都が姿を消したと知るや、どこからか仲間を大勢連れてキャラバンを襲撃したのだ。 松明が倒れたのか男達の誰かが火を放ったのか、テントの1つが燃え上がるのを見て、キャラバンに戻ることは出来ないと悟った計都は、馬の形態に変身したアスコットにまたがり死に物狂いでその地を離れた。 その後も、劇団や楽団など各地を廻って興行する集団に加わって移動を続けるも、1年ともたずに存在が知られて刺客が送られ、その度に計都は独りになった。 もちろん、ただ闇雲に逃げていたわけではない。 桃源郷各地に存在する、王族の外戚。 龍都国王家の姫君が降嫁した先は、その土地に於いて強い権力を有していることが多い。 そこを足掛かりに、中央行政に叔父の不正を訴えることで、安全に故郷へ帰り、両親の名誉を回復しようと考えたのだ。 「でもよ、どうやって、後ろ盾もない状態でそんな家に接触出来るんだ?」 「私の持つ胡弓のネックはご覧になったことがありまして? ネックを竜の頭部に似せて掘り起こした形は、他の地域では見られないもの・・・私の故郷では、嫁入り道具の一つとされておりますので、それを見れば何らかの反応がありましたわ。 それに、楽曲の幾つかは、母から子へと受け継がれるものでしたので・・・」 独特の楽器と楽曲、そして桃源郷に於いてはまず見ることの出来ない光を紡いだ髪に濃い色の 王族の系譜を継ぐ者であれば、それらから計都の素性に辿り着く事は、難しくはない。 「それらからある程度私の身分を察する言葉が出てくれば、正式な証明となる物を見せるようにしておりました・・・いきなり身分を明かそうとしても、疑われるのが関の山ですもの」 そうやって幾つもの段階を踏んだ上で事情を明かせば、彼らは計都の言葉を信じ、祖国の現状を憂い、計都を保護した。 彼らが直接龍都国の問題に口を出すことは流石に出来ないが、時には紹介状や必要な手形を与えるなど、彼らなりに最大限の支援を行ってくれた。 だが、計都の叔父の手は、時としてそれらの家にまで及んだのである。 そうして幾多の人達が犠牲となり、計都自身その精神的苦痛が身体を蝕んだのか、数年後にはついに眼から光を失った。 それでも必死に生にしがみ付き、安全に故郷に帰る手段を模索して、長安まで辿り着いたのだ。 「桃源郷の中でも長安から離れた地域は、中央とは切り離された独立行政を行う小国家が多いのですが、それでも長安の存在を無視出来るわけではないんですの。 中央行政から命令や指示が出れば、それに応じなければなりませんわ。 なので、何としてでもこの土地に来る必要があったんです・・・」 盲目の身に鞭打って目的の地に着いた時、気持ちが緩んだのか、力尽きて倒れてしまったのは想定外だったが。 何とか回復し、これまで同様胡弓を奏でながら外戚の居所を探っていたところへ舞い込んだ、瀧家からの招待。 幼い頃に叩き込まれた王家の系譜では、龍都王族の分家として龍都国と長安の橋渡し役も行ってきた、由緒正しい家系の筈。 一も二もなくその招待を受け、瀧家の屋敷を訪れた。 それが罠であるなど、知る由もなく―― 瀧家に着くと、食事と湯を与えられ、サロンに相応しいようにと衣装まで用意された。 自分の素性を明かす前からのこの丁寧な扱いに、戸惑いつつも計都は役目を果たす。 通されたサロンに響き渡る柔らかい音色。 目から光を失った代わりに、その他の感覚が、周囲の人々の感情を計都に教える。 女隠居が、在りし日々を、もういない人々を思い出し、感涙に咽ぶのを、計都は肌で感じた。 だが、演奏会が終了した後通された客間を、その女隠居が深刻な顔で訪ねて来たのだ。 曰く、息子である当主が、数日前から素性の知れない男達と、計都をかどわかす相談をしているのだと言う。 つまり、演奏会自体が、計都をこの屋敷へ呼び寄せるための口実だったのだ。 『もっと若い時分なら、あの子の横っ面を引っ叩いてやるところなんですけど、もう自分のことも満足に出来ないほど身体が利かなくてねぇ・・・王族の出であろうと何だろうと、年を取ると皆こういうものなんですよ』 『大奥様・・・』 『もう時間がありません。先程サロンに呼んだ私の友人に、貴女の事を頼んでいます、 裏手に馬車を停めているから、ここは私に任せて、貴女は裏口から逃げてちょうだい。宜しいですね?』 そうして、女隠居が信頼している使用人――恐らくは代々あの家に仕える執事――が用意した箱に身を潜め(アスコットも一緒だ)、台車に載せられ、荷物の振りをして指示通り馬車のトランクに入り込んでこの寺まで来たのだった。 「お陰で私は真如尼様の庇護の下、このお寺で今日まで無事に過ごすことが出来ました。 ですが、もうこれ以上誰かが犠牲になるのは耐えられません。 何とか、叔父の暴挙を行政に訴えて、あの国の在り方を正したいのです――・・・」 苦渋の滲む声の向こうには、犠牲になった幾人もの旅仲間や支援者の存在が垣間見える。 時には性別を隠し、時には身を守るために武器を手に取り、 目から光を失って尚、前に進んできた。 儚いだけのお姫様ではないその芯の強さに、男達は感慨深げな息を吐く。 「有難うございます・・・僕達に、話して下さって」 八戒の言葉に、気にするなとでも言うように計都は軽く首を振る。 「・・・辛かったでしょう?ずっと独りで歩き続けて、戦い続けて・・・」 真如尼――三蔵としては本当は退室させたがったのだが、本人が聞き入れなかった――が、計都の肩を抱き、幼子をあやすように叩く。 計都の まだ、泣くわけにはいかない――そう、自らに言い聞かせるように。 「そういえば八戒さん、先程、ある人に私の事を聞いたと仰いましたが、それは一体・・・?」 「・・・それは・・・」 「追々話して下さると仰いましたわよね?どうか、お聞かせ願えないでしょうか。 ここにいる方々が巻き込まれるのは・・・私の所為で誰かが傷付くのは、もう終わりにしたいんですの」 「・・・計都さん・・・」 困ったように横に座る面子を見やるが、『そーゆーの苦手』『え、何どうしたの?』『面倒臭ぇ』と大書された顔を見て、呆れと諦めの混じったため息を吐く八戒。 確かに、このメンバーの中では自分が最も適役なのだろうが、今回に限っては荷が重い。 自分があの人物から得た情報。 それは、計都を更に複雑な立場へと追い込むものなのだから―― 「僕が貴女の事を聞いた人物について話す前に、ある事実を話さないといけません。 これは、確かな筋からの情報なので、間違いのない内容です。 ――実は、貴女を狙っていた貴女の叔父さんは、既に亡くなっているんです・・・」 「・・・え・・・」 「正しくは、処刑された――貴女の叔父さんが新国王の地位に就いた後も、翼竜を政治の道具にする傾向は変わらず、しかもそれによって得た富を限られた者の間だけで独占し、貧富の差を大きくしてしまい・・・」 新国王への不信感を募らせる国民に対し、計都の叔父は恐怖政治を行い、反国王組織を次々と弾圧していった。 だが、そのような政治がいつまでも続く筈もなく、 圧政に耐えかねた国民達が蜂起し、国王やその家族を投獄、公開処刑してしまったのだ。 しかも、そこで話が終わるわけではない。 その後の国の在り方と、生存が噂されている計都を巡り、龍都国議会は二派に分かれた。 象徴王制として唯一の王位継承者である計都を王位に据えようとする南家派。 完全議会制として王族を根絶やしにするべく、計都をも処刑しようとする北家派。 南家派は北家派が王位継承権を持つ計都を処刑することで、諸外国から非難されることを懼れ、 北家派は南家派が計都を王位に就けることで、王政復古の動きが起こることを懼れ、 それぞれの思惑から、双方が血眼になって計都を捜し回っていたのである。 「――先日貴女の行方が分からなくなった後、僕達が瀧家を捜索中、偶然鉢合わせた南家派のメンバーから、貴女と貴女の故郷についての情報を得る事が出来ました。 先に貴女が長安に入った事を知った北家派は、金銭をちらつかせて瀧家の当主を抱き込み、貴女を屋敷に招くよう図ったようですが、その計画はあの家の大奥方によって邪魔された・・・大奥方が殺されたのは、口封じと当主への制裁、両方の意味合いがあったのでしょう」 「そんな・・・」 「この話だけを聞くと、北家派を追放し、南家派を立てればいいように感じられますが、南家派の主張する象徴王制も、裏を返せば貴女という存在を利用しているだけかも知れません。 今考えられる最善の方法としましては、仲介役を立て、あちらの方達との話し合いを持ってはどうかと思うのですが・・・」 「・・・・・・」 長安に着き、外戚を足掛かりに中央行政に叔父の不正を訴えれば、両親の名誉は取り戻され、かつての平穏な日々が取り戻せると信じていた。 それが今や、自分の存在を巡り、国の在り方が様変わりしているとは。 膝に置かれた手に、色が変わるほど強い力が込められる。 「ですが・・・瀧家の足掛かりが潰えてしまった今、そのような役目を引き受けて下さる方など、そうそう簡単には見つからないのでは・・・?」 「あぁ、それなら心配無用です。代理人は僭越ながら僕が務めさせていただきます。 立会人に関しても安心して下さい。丁度適役がいますから♪」 「・・・え?」 「・・・・・・」 名指しせずとも、言われた側は的確に八戒の言葉の意味するところを察したようだ。 ほんの少し身じろいだのが、気配で判った。 ――が、それ以上の行動はなく、押し黙ったまま宙を睨んでいる。 八戒も真如尼同様、三蔵の身分は出来れば三蔵自身が計都に伝えるべきと考えるが、ここまでお膳立てしても、まだその気にはなれないらしい。 謙虚というよりは心底面倒なのだろう、こちらが気配で問えば、目配せで『お前が言え』と言っているのも、余りにも予想通りで笑えてしまう。 ――仕方ないですね、印籠を取り出す従者の役目を果たしますか。 「貴女の後見をしているこちらの人はですね、正式には第31代唐亜玄奘三蔵法師・・・桃源郷内で最大の権力を有する最高僧なんです・・・」 |
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計都が5年程前に三蔵と出逢った時は、彼女の叔父はまだ生きており、執拗に計都を追わせ、亡き者にしようとしていたことになります。一戦を交えている最中だったので、アスコットは木々の間に身を潜めていたわけです。 三蔵がアスコットを眼にしていると、ジープの初対面時(@公式小説2巻)の反応が違ってきてしまうので、こんな苦肉の策(笑)。 |
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