悠久の旋律





 ――夕闇が辺りを支配する頃。
 八戒は、(ろう)家の屋敷の敷地に侵入し、窓から洩れ聞こえる声を拾っていた。

『金は出せないって、こっちは母親の命を犠牲にしてまで協力したんだぞ!?』
『だが・・・として・・・・・・という・・・には・・・』

 興奮気味の当主とは対照的に、相手の方は極力抑えた声のため、窓越しでは聞き取り辛い。
 声の低さから男性だということは察しがついたが、顔を見るためにはもう少し覗き込む必要がある。
 中の人間達に気取られないよう注意しながら伸び上がる八戒の背後に、人影が近寄る。
 その人影が、八戒の後頭部目がけて鈍器を振り下ろそうとしたその時、

「おーっと、そーゆー危ないコトしちゃダメよん?」

 軽い口調とは裏腹に、万力のような力でその腕を掴み、後ろ手に締め上げる。

「有難うございます、悟浄」
「いいって。ンで、あんた中の奴の仲間か?」
「それはこっちの台詞だ。北家派の連中は、またこんな手を使って・・・!」
「北家派・・・というのは?」
「っ・・・」

 己の言葉が薮蛇である事に気が付いたのだろう、悟浄が捕らえた男は激しくもがいたが、抑えられた腕はびくともしない。
 経験と身体能力の差を悟った男は、降参と言わんばかりにがっくりと項垂れた。

「・・・あんた達、何者だ?この家とどんな関係ある?」
「それこそこっちの台詞だっつーの」
「僕達は、この家の住人とは直接関わりはありませんが、この家に呼ばれてそのまま行方知れずとなった若い女性の身の安全を確保する義務があるんです。
 貴方の側に何か事情があるのなら、そこに立ち入る事はしません。
 その代わり、彼女の事でご存知の事は、全て話してはもらえないでしょうか?」

 八戒の言葉に、男は暫く考え込んでいたが、

「・・・・・・場所を変えよう」

 そう言って案内した先は、住宅街の外れに建つ一軒家。
 既に日は暮れていたが、対応に出た人物に男が二言三言告げると、すんなりと通された。
 客間で待つこと数分、先程の男と共に現れたのは、この家の主らしき壮年の男性。
 八戒達の向かいに腰を下ろすと、自己紹介もなく切り出した。

「・・・貴方がたは?」
「瀧家に招待され、そのまま行方不明となった若い女性の、後見人代理です」
「それは、双方ご同意の上で?」

 男性の言葉に頷きつつ、八戒は状況を整理する。
 どうやらここにいる男達は、葛葉を知っているようだ。
 だが、葛葉が彼らの事を知っているかというと、話は別になるだろう。
 八戒の心の内を知ってか知らずか、男性は話を続ける。

「貴方はここにいる者に、こちら側の事情には立ち入らないと言ったそうだが、我々の行っている事は、彼女の存在と抱える背景を無視しては語れない。
 本来なら部外者である貴方がたにはお引き取り願いたいところだが、聞くところによると、相当腕が立つとか。
 どうだろう、詳細を話す代わりに、我々に協力してはもらえないだろうか」
「・・・お言葉ですが、僕達はあくまでも彼女を保護する事が目的で、貴方がたの思惑に加担する事は承服しかねます」
「てゆーか、それって虫が良過ぎね?」
「ご安心いただきたい、我々の目的も、彼女を危険から守る事だ。
 瀧家の屋敷にいたというのなら、あの家に起こった事はご存知だろう。
 あれは、彼女に害為す者達の仕業――彼女を拉致する目的だったのが、偶発的な事故で家の者を殺めてしまったと、我々は考えている」
「じゃああの婆さんは巻き込まれて死んじまったのかよ」
「そちらの方が仰った『北家派』という人達の事ですね?」

 悟浄と八戒の言葉に、男性は頷く。
 これで女隠居の死については――あくまでも憶測ではあるが――葛葉の手によるものではないと判り、八戒は少し安堵した。
 こうなったら、とことん詳しく聞き出す方が、彼女の行方を知る手掛かりに繋がるかも知れない。

「彼女の捜索、この点に於いてのみ、貴方がたに協力しましょう。
 その代わり、全て話して下さい。彼女の身に何が起こったのかを――・・・」








 それから幾日か後、悟浄と八戒は、三蔵の召集に応じて慶雲院を訪れていた。
 2人は、葛葉を知る男達との接触及び彼らから聞き出した話の一部始終を、三蔵に報告した。

「――というのが、彼女の身辺に関する真実です」
「・・・・・・そうか」
「『そうか』じゃねーだろ。ったく、こんな事件、俺達じゃ手に余るっての」
「手は皆2つしかないじゃん」
「テメェは黙ってろ猿!」
「猿って言うな!」
「まあ仕方ありませんよ、元はといえば、行き倒れていた彼女を発見したのが事の始まりですし、そもそも僕達が彼女を見つけたのも、何かの巡り会わせなんでしょう。
 ・・・で、三蔵の方も何か収穫があったようですね?」
「・・・・・・」

 おもむろに吸っていた煙草を灰皿に押し付けると、三蔵はチラリと時計を見て立ち上がる。

「11時半の約束だ――行くぞ」








 三蔵の指示でジープを走らせ、着いた場所は郊外の古びた寺。
 応対に出た下男に『月見の茶会に呼ばれている』と言うと、心得た様子で僧正を呼びに行く。

「月見?この真っ昼間にかよ?」
「貴様は黙っとけ」

 出迎えに現れたのは、意外にも尼僧だった。

「ここって尼寺なんですか?」
「いや、住職が妻帯し、子々孫々この土地の菩提寺としての役割を受け継いでいる。
 郊外の古寺では左程珍しくない。そして迎えられた女性も仏門に入るのが原則だ」
「へー」

 自分達から見ると祖母ともいえる年の老尼僧は、たおやかな物腰で三蔵達に挨拶する。
 そのまま正面から建物に入るのかと思えば、案内されたのは裏手にある小さな茶室だった。
 その地位ゆえにこのような場所での作法に慣れているのだろう、無駄のない身のこなしでにじり口をくぐる三蔵とは対照的に、にじり口初体験の悟浄と八戒はその長身が災いし、頭やら肩やらぶつけつつやっとの思いでくぐり抜ける(悟空は体格の小ささと運動能力でカバー出来た)。

「無様だな」
「何分にも小市民ですからね。知識としては知っていても、経験がないもので」
「・・・・・・(出たよ負けず嫌い)」
「なあなあ、茶室ってことは、ここで茶を飲むのか?」
「テメェは黙ってろ猿!(つーか空気読め!)」
「猿って言うな!」

 そこへ、「失礼致します」という声と共に、先程の老尼僧が奥から入って来た。

「本日はお忙しい中、遠路はるばるお越しいただき――・・・」
「長ったらしい挨拶はいい。本題に入ってくれ」
「・・・まったくもう、貴方といいあの狒々爺ィといい死んだ亭主といい、どうして私の周りには碌な男がいないのかしらね」

 先程の楚々とした振る舞いからは想像も出来ない言葉が品良さげな口から洩れるのに、悟浄も八戒も目を見開いて固まる。

「――で、こちらの方達は?」
「俺の仕事の一部を肩代わりさせている。今回の件も無関係じゃねぇ」
「そう・・・初めまして、真如と申します」
「「どうも・・・」」
「正式には真如尼。俺の前に慶雲院大僧正位にいた爺ィとは茶飲み友達だったそうだ。
 そして、瀧家の婆さんとは子供の頃からの付き合いだったらしい」
「ということは・・・」
「あの人は、自分の家で何が起ころうとしているのかを知り、私に助けを求めてきました。
 そして演奏会が行われたあの夜、私は一人のお嬢様をお預かりしたのです。
 その娘さんに、貴方が手ずから書いた身分証明書を見せてもらった時は、本当に驚きましたよ。
 そこで私は、茶会の案内を装って、今日貴方がたにお越しいただいたわけなんです」
「そうだったんですか・・・」
「あぁそれから三蔵様、あのお嬢様には、後見人の方がおいでになるとは言いましたが、貴方のご身分までは伝えていませんから、そこはご自分で仰って下さいな。宜しいですね?」
「・・・(渋)・・・」

 老尼僧に朗らかにやり込められる三蔵という世にも珍しい構図に、居並ぶ3人は互いの顔などをつねり、笑いをこらえるのに必死だ。
 と、真如尼が入って来た襖の向こうから小さな声がした。
 真如尼が入室の許可を与えると、軽い音を立てて引かれた襖の向こう――

「葛葉さん・・・!」

 銀の髪を女性らしく結い上げ、その()と同じ花紺の着物を見につけた葛葉が、見えないながらも危なげない足取りで茶室へと入って来た。
 真如尼の誘導で三蔵の方へ身体を向け、三つ指を突いて頭を下げる。

「お初にお目に掛かります、葛葉と申します。
 何分にも不自由な身ゆえ、ご挨拶が遅れましたことを深くお詫び申し上げます・・・あの、お名前を聞いておりませんでしたので、お伺いしても宜しいでしょうか・・・?」
「・・・(困)・・・」
「ホホ・・・綺麗なお嬢様に話し掛けられて、少し照れていらっしゃるようですわね?」
「まあ・・・真如尼様ったら(///)」
「・・・(余計な事を言うんじゃねぇ!)」
「玄奘様、とお呼びして差し上げて」
「判りましたわ」

 まるで仲人を挟んだお見合いのような光景に、悟浄と八戒は口を手で覆い、爆笑しそうになるのを必死で我慢する。

「(はあ、危うく笑い死にするところでした・・・)良かった・・・心配しましたよ」
「(俺ぜってー明日腹筋筋肉痛だわ・・・)無事なのか?何もされてねぇか?」
「(三蔵、何かいつもと違うような・・・?)怪我してねぇ?腹減ってねぇ?」
「ご心配をお掛け致しました。皆様のお陰で、このように息災でおります。
 ただ――瀧家の大奥様が、私の所為で・・・」
「悪いのは貴女ではないわ。欲に目が眩んだあの家の主が招いた事・・・あの人は、息子さんの目を覚まさせようとして、御自分の命を差し出した・・・『息子や嫁にやっかまれるだけの何の取り得もない年寄りが尊い命を救えるのなら、こんな有意義な事はない』なんて言って」
「やはり、瀧家の大奥方は、葛葉さんを逃がして、身代わりになろうとしたんですね・・・」
「・・・私のような者の方こそ、何の取り得もありませんのに・・・むしろ・・・」
「むしろ、貴女を消したがっている存在がある――そうですね?」
「八戒さん・・・ご存知なんですか・・・?」
「本来なら、貴女の事情に首を突っ込むことはしないと決めていたんですが、今回の事でそうもいかなくなりまして。貴女の今後の身の安全を確保するため、ある人物と接触したんです。
 それについては追々話すとしまして、貴女の口から出来る限り話してはもらえないでしょうか、葛葉さん・・・いえ、計都(けいと)さん」
「!・・・っ」
「計都?・・・モガ」
(だから空気読めっつってんだろーが黙ってろ猿!)
「・・・そこまでご存知なんですのね・・・」

 諦めるようなため息をつくと、葛葉――本名は計都というらしい――は決意の表情を浮かべた。
 他言無用を約束した上で語られた内容は、およそ想像もつかないものだった。

「私の本当の名は、(ろう) 計都・・・ここより遥か西北の小国、龍都(りゅうと)国第37代国王の第一嫡子でございます・・・」







やっとオリキャラの本名が出ました。長かった;
王族の苗字が『朧』であり、『朧』家から派生した家系ということで、女隠居の家は『瀧』家なのです。
ここに出てきた龍都という名は、オリキャラの故郷として他の作品でも登場する予定ですが、統治形態や規模などは作品ごとに違ってきますので、別個のものとお考えいただければ。







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