悠久の旋律





 おかしいと、八戒は直感的に思った。
 女将が嘘を吐いているわけではない。信用出来る人物だからこそ、目の見えない葛葉を預けているのだから。
 腑に落ちないのは、葛葉が、身元が明らかであるとはいえ、見ず知らず(言葉が不適切かも知れないが、慣用句なので仕方ない)の人物からの誘いを進んで受けたという点。
 これが、女将が勧めたので了承したというのならば、解らなくもないのだが。
 一方で、葛葉は女将に自分宛ての伝言を預けているし、その客の住所も女将が教えるという。
 腑に落ちない点はあるものの、取り越し苦労と思わざるを得ないのだろうか。
 何度も首を捻りながら、それでも八戒は女将から聞いた住所へとジープを走らせた。

「凄いですね・・・」

 教わった住所は、いわゆる旧家・名家の並ぶ由緒ある土地。
 1ブロック丸々をひとつの家が占めることも少なくなく、個人のサロンという話が現実味のあるものに思えた。
 目的の家も、そういった屋敷の一つであり、正門の左右は見渡す限り土塀が続いている。
 表札には、『(ろう) 趙飛(ちょうひ)』とある。
 慶雲院も格調高い(中の人間がそうかは別問題として)建物だが、それに負けず劣らず敷居の高さを感じさせられる佇まいに、気後れしつつも呼び鈴を鳴らした。
 出てきたのは、明らかに執事と判る、洗練された所作の男性。

「こちらに、『翠玉亭』の胡弓奏者の女性が呼ばれている筈なんです。僕はその後見人代理なんですが、彼女をここに呼んではもらえないでしょうか・・・」

 しかしその要求は、慇懃に断られた。

「お客人は只今、大奥様のお相手をしておられます。
 既にお食事やお部屋もご用意させていただいておりますゆえ、今宵はどうぞお引き取りを・・・」
「・・・・・・」

 つまり屋敷側が客人と認めているのは葛葉のみで、それ以外は門前払いというわけだ。
 やむを得ず八戒は、屋敷を後にした。
 門の脇に停めていたジープに乗ろうとした時、

「・・・・・・?」

 一瞬、不穏な気配を感じ、周囲を見渡す。
 しかし、視界に入るのは東西に伸びる道とそれに沿って建てられた屋敷と塀ばかり。
 気のせいであれば良いが、と思いつつジープに乗り込み、帰路についた。








 その時八戒が抱いた危惧は、現実のものとなる。
 次の日の未明、瀧家の女隠居が死去し、葛葉が行方を眩ませたのだ。








 その事実は、同時に八戒の耳に入ったわけではない。
 というのも、昼間買い物の際に『翠玉亭』で女将から葛葉の失踪を、その後夜になって帰宅した悟浄から女隠居の死をそれぞれ別々に聞いたからだ。
 更に情報の出所を探ったところ、悟浄は宝石商とコネのある賭博仲間の噂で、女将は屋敷の使いから直接聞いたのだという。
 ――つまり、女将は女隠居の死を屋敷の使いからは聞いておらず、一方、女隠居の死を知る者に、葛葉の存在は耳に入ってはいないのだ。
 その事実に行き着いた八戒は、ますます葛葉と瀧家の人間との関係に疑問を抱いた。
 屋敷側が彼女を招いたのは偶然なのか、意図的なものなのか、
 彼女が招きに応じたのは、純粋に演奏者としてか、別の目的があってのことか、
 彼女が姿を消したのは、彼女自身の意思によるものなのか、第三者の手によるものなのか、
 女隠居の死は、偶発的なものだったのか、それとも――・・・?

「考えていても、埒が明きませんよね・・・それに・・・」

 この事を、三蔵に報告しなければ。
 実質的には自分が彼女の後見をしているようなものだが、現在の自分は三蔵の保護観察対象であり、正式には三蔵が彼女の後見人なのだ。
 実際、彼女の身分証明書類は、何だかんだ言いつつも三蔵自身が作成・署名している。
 あれ程の由緒正しそうな旧家だと、もしかすると屋敷の人間と慶雲院とで何某かの繋がりがあるかも知れない、だとすれば、彼の側から探りを入れられないだろうか。
 そう考えた八戒は、翌日悟浄を伴い慶雲院へ向かった。

「その婆さんの葬儀の件なら無理矢理承諾させられた。短くない付き合いの家だと言われてな。
 今日の通夜と明日の葬式に、俺を含めて数名行くことになっている」
「最高僧を筆頭に慶雲院の僧侶を複数・・・三蔵法師を個人の葬儀に呼ぶことって可能なんですね」
「ここは本来菩提寺としてではなく、行事を通じて一般人に仏の教えを浸透させる役割の寺だ。通常は一般人の葬儀は受け付けん――が、ここの運営や維持に深く関わる旧家は、その限りではないようだな」
「成る程ね、要はカネとコネってことデスか」
「――貴方は以前、葛葉さんの事をこう言いましたよね、『降り掛かる火の粉を払うためには手段を選ばない、そして元凶は徹底的に潰す』って。
 今回の件も、自己防衛の為に行った事なんでしょうか・・・?」
「知るか。本人に聞けばいいだろう」
「当の本人が行方不明だってのに、それはないっショ三蔵サマ?」
「これだから貴様はハンパなんだよ」
「あ゛ぁ!?」
「そのよく動く口は何の為にある?行方が判らんのなら、情報を集めるしかねぇだろ」
「こんのクソ坊主・・・」
「悟浄、確かに三蔵の言う事は一理あります・・・取り敢えずこの件に関して、僕達は出来る限り情報を集めてそれを共有する、それが真相への近道でしょう・・・」








 それから程なくして、女隠居の通夜が、そして翌日には葬儀が営まれた。
 枕経は別の僧侶が行ったが、通夜での読経は三蔵が、そして葬儀では三蔵を含め3人の僧侶が行う手筈となっている。
 それは取りも直さず、この家がそれだけの家柄である事を表している。
 僧侶の格と数だけではない。
 祭壇も棺も総白木製で、金具や燭台などは金メッキが施され、幾本もの灯篭が放つ光を柔らかく反射させるその様は、常日頃薄暗い堂内で黒光りする仏像に向かって読経する三蔵にとっては、正直目に痛いくらいだ。
 会場の入り口から祭壇まで、通常の葬儀会場の倍はある道のりを、百を優に超える参列者の視線を受けながら歩いていく。
 まるで劇場の花道である。

 ――阿呆らしい。

 思わず声に出して毒づきたくなるのを、辛うじて心の中だけに留める三蔵。
 葬儀前に悟浄と八戒とが三蔵に報告した内容が、脳裏に蘇る。

『俺に婆さんの話をした奴にそれとなく聞いてきたけど、どうも家柄の割にゃ台所事情は芳しくなかったようだぜあの家』
『その方は、その話を知り合いの宝石商の方から聞いたそうなんです。
 何でも、瀧家の使いが、葬儀の費用を捻出するのにどうしても現金が必要だからと言って来て、宝石や宝飾品を何点か買い取らせたみたいでして』
『噂では地方国家の権力者の血を引いているとか何とか言われてるけど、今じゃ収入の大半が土地建物の維持費に消えてるらしいな』
『だから今回のような不測の事態になると、即座には現金が用意出来ない――というところなんでしょうね』

 このような旧家は、建物そのものが文化遺産のような扱いを受けることがあり、塀の修復一つ家人の判断では出来ない部分がある。
 ましてや、売り払うなど。
 そういう事情は察するが、ならばそれを理由に葬儀の規模を縮小すれば良いものを。
 体面を重んじる余りにそれが出来ない当主が、いっそ哀れだと三蔵は思った――








 いわゆる葬式と呼ばれる儀式は、宗教的儀礼である葬儀と、社会的儀礼である告別式とに分けられ、個人の葬儀の場合、余程の事がなければこの2つは立て続けに執り行われる。
 だが、今回のように規模の大きな葬式だと、葬儀と告別式の間に小休憩を挟み、その間にその後の段取りの確認があちらこちらで行われる。
 三蔵達慶雲院の僧侶は、その間控え室で待機していた。

「流石に名家と名高い瀧家の隠居殿、参列者の顔触れもそうそうたるものでしたな」
「しかもその数も凄い。これは焼香にさぞ時間が掛かることでしょうのお」

 同行の僧侶2人が、湯飲み片手に口々に言いたい事を言っている。
 慶雲院に於いてはかなりの地位である僧侶だが、語られる内容は世俗で流れる噂話と何ら違いはない。
 知らず、三蔵の眉間にしわが刻まれる。
 2人の話には加わらず、茶菓子を口に運ぼうとしたその時、控え室の扉が叩かれた。
 俗な話題に花を咲かせていた僧2人が口を噤み、三蔵の方を窺う。

「・・・入れ」

 開かれた扉から現れたのは、楚々とした喪服姿の老婦人。
 一瞬、遺族か手伝いの者が言伝に来たかと思ったが、

「これは、真如尼殿・・・!」

 傍にいた僧侶達の方が、慌てて立ち上がり挨拶をする。
 東方最大級の寺院の中でも高位にある筈の彼らが礼儀を尽くすというこの老婦人、そこいらの老女とは訳が違う。
 寺一つを任された僧正位に在る尼僧であり、今は亡き慶雲院大僧正待覚和尚の古い知己でもあるのだ。
 三蔵自身も待覚の死後、大僧正代行の任に就くにあたり幾度となく顔を合わせたことがあるが、常の尼僧姿ではない分、やや反応が遅れた。

「・・・何であんたがここにいるんだ」
「あらいやだ、他人の読経にケチを付けに来たとでも言うの?失礼ねぇ。
 私はね、故人のれっきとした幼馴染なんですよ。
 貴方達の顔に泥を塗らないよう、こうして一般人の格好で来たというのに、その言い方はないんじゃありません?」
「「「・・・・・・」」」

 居並ぶ高僧3人が、視線を逸らして押し黙る。
 黙って立っていれば茶道か華道の師範にも見える上品な老婦人が、口を開けばこの台詞。
 故待覚和尚の茶飲み友達というポジションは伊達ではないというべきか。

「といっても、法要の都度貴方達を呼ぶ余裕はないでしょうから、今後は私が代行する可能性もなくはないでしょうけど、それはまたここの主人から相談があるでしょうね。
 ――で、私の用向きはこちら」

 そう言って小さなバッグから封筒を取り出し、三蔵に差し出す。

「あんな狒々爺ィでも、風流を嗜む心はありましたからね、毎年この時期には、うちで催す月見の茶会に出ていただいたものだわ。
 大僧正代行たるもの、感性を磨くのも修行のうちですよ」

 つまり、茶会への招待状ということだ。
 葬式のついでに手渡すというのは若干不謹慎な気もするが、慶雲院に宛てて送った郵便物が三蔵の手元に届くまでに相当な時間が掛かる事を思えば、致し方ないのかも知れない。
 それに、亡き待覚和尚を偲ぶ意味合いも含むのだろう。
 そう思った三蔵が封筒を受け取ったのを見ると、本当に用件はそれだけだったのだろう、真如尼は足早に部屋を辞しようとする。
 と、扉を開けざま、振り向いて、

「とても美しい月をお迎えするのですからね、時間厳守でお願いしますよ」

 そう、念を押すように言い残して扉の向こうに消えた。

「・・・・・・時間・・・?」

 その言い方に、常とは異なる含みを感じ、受け取った封筒を開いた。
 予想通り中から出てきた茶会の案内状に、素早く眼を通す。
 その字を追う目が驚愕に見開かれるのに、左程時間は掛からなかった――







苗字のバリエーションが世界有数とされる日本では、苗字だけの表札が当たり前ですが、苗字の種類が限られている諸外国ではそれだと不便が生じるため、家長のフルネームが表示されることが多いと思います。特に桃源郷のベースである中国は苗字の種類が極端に少ない筈なので、急遽テキトーな名前を作りました。表札にするためだけに出てきた名前(笑)
そして終盤で出てきた真如尼様(何となく様付け:笑)。外見は八千草薫の如く、中身は花喃姉様の如く(爆)
待覚様を狒々爺呼ばわりしてますが、そーゆー関係ではございませんので悪しからず(爆)。







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