悠久の旋律





 旅人を抱えた八戒が救急受付へ付く頃には、先に受付に着いていた三蔵が既に必要事項を伝え、程なくして用意されたストレッチャーに、八戒は旅人を横たえた。
 郊外とはいえ、ここは仏教の最大拠点である慶雲院のお膝元、長安。
 その統括者である三蔵の名を聞いた病院側は、驚きつつも速やかに特別個室を用意した。
 病室に入る前に、精密検査のため検査棟へと運ばれたストレッチャーを見送り、悟浄はやれやれと身体を伸ばす。

「もう今日は調査には出られねぇんだろ?なら俺はこれで・・・」

 そう言ってその場を立ち去ろうとした悟浄の前に、1人の看護師が歩み寄った。
 そこで反射的に立ち止まるのは、女好きの血の為せる業か。

「入院患者さんの付き添いの方達ですね?」
「あー、まあそうだけど」
「こちらが入院のしおりになります。
 付き添いの方には、ここの一覧の物を揃えていただきますね」

 言いながら看護師が示したのは、ティッシュや歯ブラシなどの入院必需品の一覧だ。

「あと、ここには書かれていませんが、女性なので生理用品も用意していただきます」
「はー、女性なので生理用品ね・・・って、ハイ!?」
「1階の売店で扱ってます。店員は慣れていますから、店員に言えば大丈夫ですよ」

 悟浄が声のトーンを上げた理由を看護師は勘違いしたらしい。
 必要な事のみ伝えると、慌ただしく病棟の方へと消えていった。

「おい三蔵!今の・・・」
「煩ぇ。ここは病院だ。でけぇ声出すんじゃねぇよ」
「・・・三蔵、どうやら貴方、ご存知だったようですね」

 あの銀髪の麗人が、女性である事を。

「更に言えば、お知り合いなんじゃありませんか?」
「え、マジ?」
「そーなの?なら俺に紹介・・・」



 ちゃき



「いやいやいやいや冗談冗談っ、てかここ病院っつったのお前だろーがっ!」
「撃ってもすぐに治療してもらえますけどね」
「シャレになんねーから止めてくれ!」
「どうでもいいけどさ、もう俺達付いてなくても大丈夫なんだろ?
 ならメシにしようよ。俺腹減って腹減って・・・」
「・・・勝手にしろ」
「ですが、三蔵は取り敢えず付き添い代表として、今日判る範囲の検査結果と、今後の治療について聞く必要があるんじゃないですか?」
「・・・誰が付き添い代表だ・・・」
「なら、ここに書いている入院の必需品、貴方が揃えて下さいますか?生理用品も込みで
「・・・(悪魔だ、こいつ)・・・」
「じゃあ、悟浄は悟空を連れて、食事と買い物をして下さい。あ、ジープとそのお兄さんも連れてって下さいね」
「いや兄って決まったわけじゃないし」
「八戒は?」
「あの人の意識が戻った時、事情を説明する人間が必要でしょう?
 三蔵にそれを任せるのは酷なので、これは僕が引き受けます。
 調査は明日に日延べして――」
「明日は予定が入ってんだよ」
「――じゃあ、また日が空いた時に、うちに来て下さい。
 取り敢えず二手に分かれましょう」
「おっしゃメシメシ〜」
「えーと、八戒さん・・・」
「1階の売店で、生理用品も、お願いしますね」
「ハイ・・・」
「さて、と・・・三蔵、どちらへ?」

 悟空と悟浄を笑顔で送り出す八戒の背後で、三蔵は忍び足で立ち去ろうとしていた。
 目論見が外れたと知ると、小さく舌打ちながら、不承不承答える。

「・・・・・・喫煙コーナー・・・」
「おやご存じないんですか?健康増進法に基いて、医療施設及びその周辺地域は須らく禁煙となっているんですよ?
 火災報知機が設置されていますから、トイレでの喫煙もご法度です
 ――で、それはそうと三蔵、僕が何を言おうとしているか、お解りですよね?」
「・・・・・・(誰かこいつ何とかしてくれ)」
「諦めて下さい。さっさと話した方が、お互い楽ですよ?」
「・・・・・・(考えを読むな!)」

 先程暗い情念に囚われかけた者と同一人物とは思えないふてぶてしさだ。

 何だってこいつは、こう浮き沈みが激しいんだ?

 猪悟能として寺院に勾留されていた頃から散々振り回されてきた事を思い出し、頭痛を覚える三蔵であった。
 だが、変に隠し立てするような事でもないし、いずれは話さねばならないという気もしていた。
 疼くこめかみを指で押さえながら、一つため息をつく。
 精密検査が終わるまでの暇つぶしと考えれば、どうということはない。
 傍にあった長椅子に腰を下ろすと、遠い過去に思いを馳せながら、ぽつぽつと語り始めた。

「あれは・・・4、5年程前だったか――」








 経文の情報を求めて長安の寺院に着任する少し前。
 山道をひたすら歩く自分の耳に、小鳥の鳴き声や葉ずれの音とは明らかに違う響きが飛び込んできた。
 一定の速度で近付く足音――動物ではなく、人の。
 何者かがこちらへと走り来る事を示すそれに、三蔵は眉根を寄せた。
 山道で走るなんて普通の状況ではない。
 自分のような旅人が、妖怪か獣に追われているのだろうか?
 常日頃妖怪を追い、かつそれらから追われる身である三蔵は、反射的に左手で短銃のグリップを握り、いつでも発射出来るように安全装置を外す。
 旅人が何者かに追われていたとして、それを助けるつもりはさらさらなかった。
 ただ、自分が巻き込まれるのが嫌だっただけだ。
 歩くのを止め、耳を済ませる。
 程なくしてガサガサッという葉ずれの音と共に、木々の陰から足音の主が姿を現した。
 息を切らせ、怯えた様子の男。
 それを追う者の姿までは、この位置からは判らない。
 状況を把握しようと眇められる紫暗の瞳が、男のそれと合った。
 大抵の者は、危険の存在する方向へ歩く子供に向かって逃げるように言う筈。
 ところが、事態は思わぬ方向に傾いた。

「!?っ」

 恐怖に錯乱した末の所業か、自分より明らかに年下である三蔵に縋り付いたかと思うと、その身体と首に手を廻し、盾にでもするかのように持ち上げたのである。

「こ、のっ・・・?」

 その行動に抗議の声を上げるよりも前に。
 先程と同様の葉ずれの音。
 自分の目の前に、現れる追跡者。
 男を追って来た勢いのまま、縮められる距離。
 咄嗟に、肘より先の自由が利く左手に握られた銃を突き出そうとした時。

 バサッ

 視界を覆う、大きな布。

 グジュ――ボキッ

 間近で聞こえる、不快な音。

「ゲアッ!・・・・・・ゥ、グゥ・・・」

 頭上で発せられる、くぐもった声。
 全てが、瞬く間の出来事だった。
 ドサッという音に我に返ると、拘束されていた身体は開放され、かぶせられた布も取り払われていた。
 振り返れば、首を後ろから貫かれて屍と成り果てた男の体と、頭からマントを羽織った――

「・・・子供・・・?」

 身長は自分よりやや低目といったところか。旅装束のせいで体つきは不明だが、顔の輪郭から見て変声期を迎えていないだろう事は容易に想像がついた。
 少年か少女か判別のつきにくい、しかし常人よりも遥かに美しい顔立ち。
 子供特有の瑞々しい大きな瞳は、晴れた夜空を髣髴とさせる深い(あお)
 その全てが、一瞬前の陰惨な光景とはかけ離れていた。
 しかし、だからといって油断するわけにはいかない。
 状況からして男を追い、そして殺したのはこの子供である。
 その現場に居合わせた自分の身が安全である保証はどこにもないのだ。
 瞬時に判断した三蔵は、先程構え損ねた銃を子供へと向けた。
 銃口を向けられても子供は顔色一つ変えず、

「銃を持つ僧侶とは・・・珍しいな」

 ポツリと、感情のこもらない声を洩らした。

「慣れてるようだな」

 迷わず急所を突くところといい、マントを敵の背後に廻る際の目隠しに使うところといい、相当戦闘経験があると見ていい。

「銃は初めてだ。その手の店で見たことはあるがな」
「銃以外なら幾らでも、というわけか・・・貴様、何者だ?」
「・・・僧侶にしては汚い口の利き方だな」
「放っとけ。それと、俺の質問に答えてねぇぞ」
「答える義理は――」

 そこまで言ったかと思うと、いきなり手を伸ばし、三蔵を突き飛ばした。
 一瞬遅れて。



 ドスッ



「!?っ」

 地面に尻餅をついたものの、持ち前の反射神経で素早く上体を起こした三蔵の視線の先。
 自分を突き飛ばした人物の胸に深々と刺さった、一本の矢。
 本来ならば、自分が受けていた――

「・・・の、野郎・・・!」

 湧き上がる怒りが誰に対するものかは解らないが。
 地面に腰を下ろしたまま、振り返ると同時に短銃の引き金を立て続けに引く。
 鉛弾は木陰で弓を構えていた男に過たず命中し、男は仰け反るように倒れ、視界から消えた。
 音からして、その向こうは小さな崖になっているらしい。
 とどめを刺そうと立ち上がる三蔵の手を、何かが触れた。

「おい・・・!」

 胸に受けた矢はそのまま、苦痛に美しい顔を歪める子供。
 それに驚いた一瞬の隙に、子供は三蔵の手から銃をもぎ取り、崖へと走り寄った。

「馬鹿が・・・!」

 あれだけの傷を受けた状態で動いて、只で済む筈がない。
 チッ、と一つ舌打つと、後を追って崖へと向かった。
 木立へ近付くと、そこは木の葉の積もった緩い斜面になっており、先程の男が左肩を押さえながら、左足を引きずって逃げ去ろうとするのが見て取れた。



 ガウンッ



 聞き慣れた、しかし自分の立てたものではない銃声が、三蔵の鼓膜を震わせる。
 ふらつく身体を木の幹に押し付けることで支え、両の手で銃を構える子供。
 たった一発発射された銃弾は、逃げる男の頭に見事命中し、男はその場で絶命した。

「フゥ・・・」

 吐き出された溜め息が何を意味するのかは判らないが。
 明らかに安堵の表情を浮かべた子供は、そのままズルズルと座り込んだ。

「おい、借りたモン返してから・・・!?」

 言いかけて、三蔵は口を噤んだ。
 触れた肩が、布地越しにも解る程熱く、湿り気を帯びている。
 荒い息と歪む表情が、矢の痛みだけによるものとは思えない。

「傷、見せてみろ」
「・・・・・・ゃ・・・止、め・・・・・・っ」
「四の五の言うんじゃねぇ。借りっ放しなのはこっちの気が済まねぇんだよ」

 言うや、乱暴にマントを剥ぎ取った。
 マントの動きに合わせてサラリと流れるやや長めの髪は、自分のそれと対照的な銀色。
 この近辺ではまず見ることのないその色を一瞥した後、上着の身頃を開く。
 下に着込んだシャツは、血と汗を吸い込みじっとりと濡れそぼっている。
 自分の手にベトつくそれをものともせず、三蔵は力任せに引き裂いた。

「・・・・・・!?」

 視界に入った『それ』に、らしくもなく絶句する三蔵。

「お前・・・」

 呟いた言葉が相手に届いたのかは定かではないが。
 苦しげに呼吸を繰り返す唇が僅かに動き、自嘲とも取れるような笑みを形作ると。
 『少女』はそのまま、意識を失った――







4頁目になりましたが、未だにオリキャラの名前が出て来ないという衝撃の真実(笑)。
代わりにといいますか、話は三蔵が彼女と出逢った頃に遡ります。
金山寺を出た三蔵がどういうルートを旅したかは公式設定にも載っておりませんが、公式小説3巻『螺旋の暦』を見る限り、西方へと旅した後、叶氏の助言に基づき長安を目指した、ということになるでしょう。
なので、この回想シーンは長安に辿り着く前年、三蔵様16歳くらいの話とお考えいただければ。







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