悠久の旋律





 「・・・コーヒー、淹れましょうか・・・?」

 少しズレている感じのしないでもない八戒の言葉だが、自分の体が――心が、コーヒーを欲しているのは事実なので、「頼む」とだけ応える。
 八戒が給湯室へと向かった後、残った三蔵は検査棟の入り口へと視線を戻した。
 あれからの年数を考えれば八戒・悟浄と悟空の中間くらいであろう少女の相貌。
 長旅でやつれたせいもあるだろうが、胡弓と銀糸の髪であの時の少女だと気付いた時も、まだ半信半疑だった。
 ――尤も、自分が女性と接することに未だ不慣れなせいかもしれないが。



 ガラガラガラガラ・・・



 遠くからでも判るストレッチャーのキャスター音が聞こえ、旅人――銀の髪の少女が検査を終えて戻って来た事を三蔵に知らせた。
 まだ八戒は給湯室から戻っていないが、状況判断して追って来るだろうと考え、ストレッチャーの後に続いて特別個室まで付き添った――といっても入り口までだが。
 看護師達の手で病室のベッドへ移され、点滴等の処置を受けている間に、担当医らしき女医が三蔵に近付き、挨拶をする。

「容態は?」

 単刀直入に切り出した三蔵に、女医は廊下で話すべきか一瞬迷う表情を見せたが、

「精密検査の結果は来週にならないと分かりませんが、目立った外傷や内出血、骨折も無く、呼吸も脈拍も概ね異常は有りません。肉体的、精神的両面における疲労だと思われます。今のところ栄養剤の点滴だけで大丈夫でしょう。ただ気になる点が一つ――・・・」

 そこで一旦言葉を切ると、手元のカルテをめくり、内容を再度確認した上で顔を上げた。
 先程よりややトーンを落とした声で、

「あの患者さんは、目が見えない様子で・・・三蔵様は、ご存知でしたでしょうか?」
「――!?」

 何だと――?

 思いもよらぬ言葉に、三蔵の目付きが険しくなる。

「4、5年前に会った時は見えていた筈だ。それから今日まで顔を合わすことはなかったから、その間の事に関しては知らん」
「そうですか・・・眼球や脳に器質的異常は見当たらないので、恐らくは視神経か脳の視覚野のどちらかが機能障害を起こしているのかも知れません。どちらにしても昨日今日の話ではないと思いますので、本人の意識が戻り次第、問診したいと思います」
「・・・任せる」

 それでは、と会釈して立ち去る女医とすれ違いに、コーヒーを入れた紙コップを手にした八戒が戻って来た。
 タイミング的に、先程の話も聞こえていたに違いない。

「三蔵・・・」
「俺の、知った事じゃない・・・」

 八戒の言葉を遮って発せられたその台詞が欺瞞である事くらい、八戒には容易に察することが出来た。

「それにしても、あの時何処へ向かおうとしていたんでしょうね」

 紙コップを三蔵に差し出しながら、気になっていた事を口にしてみるが、

「俺が知るか。本人に聞け」

 視線すら合わせないまま紙コップを受け取りながら返されたのは、にべもない返事。

「昔会った時に、旅の目的とか聞いてなかったんですか?」
「名前すら聞いてねぇんだぞ?ンなの聞くわけねぇだろうが」
「・・・・・・」

 はぁ、と溜め息を吐き、コーヒーを飲む八戒。
 普通それ程の出逢い方をすれば、せめて名前だけでも聞こうとするのではないだろうか。
 出逢った時からどこか変わった人物だとは思っていたが、それは三つ子の魂というやつらしい。
 変わっているという点では八戒も負けてはいないのだが、それとこれとは別であるとしてしまう辺りがやはり八戒なのであるが――

「・・・で、これからどうするんですか?」
「どっちをだ。猿じゃねぇんだ、主語と述語をはっきり言え」
「話の経緯から省略された内容を汲み取るのが、大人の会話でしょう?」

 見事に返された言葉に眉間にシワを寄せる三蔵。
 その様子にクスッと笑みを零し、冗談ですよ、と心にもないフォローを入れると、

「倒れた直接の原因が単なる疲労であるとするなら、一通り検査が終了して体力が回復し次第退院となるでしょう。三蔵の話と、彼女が旅装束だった事から見て、彼女はこの近辺に住んでいるわけではないようです。とすれば、一時的なものにせよ退院後の彼女の身元引き受けを誰がするか、ということですが――」
「下んねぇ、んな事いちいち説明されるまでもねぇよ」
「・・・・・・」

 さっき主語と述語をはっきり言えって言ったのは、何処の何方でしょうね?
 言っても無駄な事は、短い付き合いながら骨身に沁みているので、口に出さない代わりに気配に乗せる。

「大体、一度会った程度で何処の何者とも判んねぇ女の身元引き受けなんざ、俺は御免だ」
「・・・まぁ確かにそうなんですが」

 一度でも会っているのといないのとではかなり違うのだが、三蔵の言っている事も尤もで。
 それにたとえ三蔵が身元引き受けを了承したところで、寺院に女性を匿うわけにもいかない。
 とはいえ、病院側は完全に彼女の事を『三蔵法師様の覚えのめでたき方』と認識してしまっているようだが――

「――・・・・・・てろ」

 そんな事をつらつら考えていたためか、三蔵が言った台詞をうっかり聞き逃した。

「え・・・と、すいません、何て言ったのか聞こえなかったんですが」
「お前が預かってろと言ったんだ。もう耳が遠くなったか」
「・・・僕貴方より若いんですが・・・ってそうじゃなくって!」

 ツッコむところはそこではない。

「驚く事じゃねぇだろ。今のお前は表向き俺の保護監督下にあるんだからな」

 つまり間接的にだが一応三蔵がバックにつく形になるわけである。

「取り敢えず今後の身の振り方を本人に決めさせる。それまでの宿代わりだ」
「・・・家主は悟浄ですよ?」
「舌先三寸で丸め込んどけ」

 人を何だと思っているんだろうか、この御仁は。
 と、そこで大きな問題がある事に気が付いた。

「悟浄が手を出したら、僕の責任ですか?」

 言ってから病院内で口に出す台詞ではなかったかなと反省するが、それはさておき。
 悟浄が目の見えない者を襲う程の外道とは思えないが、当人があれだけの美貌だ。実際先程、三蔵に『紹介してくれ』と迫っていた事もあるし、何がどうなるか分からない。

「殺したら厄介だと思うのなら半殺しに抑えとくよう念を押しておくんだな。俺は知らん」
「・・・は、い?」

 若干噛み合わない三蔵の返答に、八戒は首を傾げる。
 殺すって誰が、誰を?
 念を押すって誰に対して?

 ・・・・・・・・・・・・

 たっぷり1分の逡巡。



「え、ええぇっ!?」(注:病院で大声を出してはいけません)



「あの女は自分に降りかかる火の粉を払うためなら手段を選ばん。そして元凶は徹底的に潰す。
 安心しろ。河童が殺されたところで正当防衛だ。目が見えないから加減のしようもねぇしな」

 本人が聞いたら滂沱の涙を流しそうな台詞である。
 っていうか僕も泣きたいんですけど。
 何だかとんでもない事に巻き込まれている事を悟り、深い溜め息をつく八戒であった。








 結局昼を過ぎても少女が目覚めることはなく、病院の食堂で遅めの昼食を摂った後、務めに戻らなければいけない三蔵は、八戒一人を残して病院を後にした。
 既に八戒の事は主治医である先程の女医に話を付けている為、病室前の長椅子で待機していても病院職員に不審がられることはなく、逆に丁寧な対応で気を遣ってくる。
 改めて、『三蔵法師』の力の強さを実感する瞬間だ。
 そうなると、ますます問題となるのが、未だに意識が戻らない彼の少女の扱い。
 三蔵は否定するだろうが、少女が三蔵と既知の間柄として病院関係者に認識されているのは紛れもない事実だ。
 少女の病状等は個人情報として保護されても、三蔵がその少女と面識があり、かつ倒れた彼女を運んだ――正確には運ぶよう言いつけた――のも彼であるという事は、いずれ外部に漏れるだろう。
 となれば、三蔵に取り入るために彼女に近付く者が出て来ない保証は無いし、逆に三蔵を陥れるために利用される可能性もある。
 その辺は三蔵も解っているのだろう。だからこそ終始一貫して自分は無関係だという態度を取り続けてはいたが――

「結局は、救ってしまうんですよね」

 普段は善良な信者が見たら泡を吹きそうな破戒っぷりだが、こういう時やはり彼は僧侶なのだと思わずにはいられない。
 ――尤も、『何であいつを坊主にした』という某友人の言葉も、充分に頷けるのだが。
 不謹慎を承知で、クスッと八戒が思わず笑みを零した時、

「――・・・?」

 微かだが病室の中で音がしたように感じたため、医師を呼ぶ前に確認しようと引き戸を開けた。
 もちろん、女性の病室である事を考慮し、ノックも忘れない。

「失礼します・・・」
「!?っ」

 向けられた気配は、怯えと敵意を孕んだもの。
 当然だろう、意識を失う前とは全く異なる場所に寝かされていた上、目覚めて最初に耳に入ったのが男性の声なのだから。

「ここは病院です。貴女に危害を加える者はいないですから、安心して下さい。
 あぁ、申し遅れました。僕は猪八戒といいます」
「・・・・・・病、院・・・」
「はい。貴女が林道で倒れていたところを僕達が発見し、ここへ運びました。医者が言うには過労によるものだそうで、今右腕に繋がっているのは栄養剤の点滴です」
「・・・・・・」

 八戒の言葉に、少女は左手で点滴の管や点滴瓶を吊るしているポールを確認した。

「それから、貴女の翼竜はきちんと保護しています。僕も翼竜を飼っているので、問題なく世話が出来ると思います。貴女が退院するまで預かっておきますね」
「貴方も、翼竜を・・・?」
「ええまぁ、成り行きで」
「・・・・・・」
「・・・あの、何か?」
「あ、いえ、翼竜を所持出来るなんて、どんな御家の方かしらと思って・・・」
「あぁ、そういう事ですか。いえいえ、ごく普通の一般人ですよ。たまたま迷子になっていたのを保護したんですけど、元の持ち主はもういないみたいで・・・あ、やっぱり竜って高価なものなんですか?」

 『・・・普通?』『どこがだよ』『一般人が聞いて呆れるな』というツッコミが別次元から聞こえてくるが、綺麗に無視する。

「ええ。というより一般に売買されるものではありませんの」
「非売品ですか」
「・・・それに近いものといえますわね」

 余り冗談の通じるタイプではないようだ。

「では貴女は?あの翼竜は貴女のものなんですよね?」

 少女の言葉が本当なら、少女自身もそれなりの出自なのではないだろうか。
 八戒の質問に対し、返されたのは柔らかい笑み。

「あの子は私が旅をするにあたってとある筋から借り受けたものですの。
 私自信は何も持たない只の子供ですわ」
「・・・そうですか・・・」

 旅という単語に、三蔵の話を思い出す。
 旅路に在った三蔵が出逢った少女と目の前の少女が同一人物であるとすれば、三蔵より長い年月を独り(と一匹)で過ごしたのではないだろうか。
 しかも、今の彼女は盲目の身だ。

「それにしても、よくその眼で旅が出来ましたね・・・」

 そう尋ねずにはいられない。

「そうですわね・・・よく、長安(ここ)まで辿り着けたと思いますわ」

 浮かべられる笑みに蔭りが生じる。
 それを見た八戒は、この少女に助力する事は出来ないか、ふとそう考え、傍にあった椅子をベッドの横まで寄せると、腰を下ろして少女に話し掛けた。

「そこまでして、長安に何の目的が?良かったら、話していただけませんか?
 貴女は今、ある人の知己という扱いで、この病院にいます。
 僕はその人から貴女の事を頼まれているので、出来る限りのことはしたいと思います。
 幸い、移動手段も持っているので、多少の遠出も問題ありませんし」
「移動手段・・・」

 八戒の言葉をオウム返しに呟いたかと思うと、少女は押し黙ってしまった。
 考えに耽っているらしいその顔は無表情で、流石の八戒もその内面を読み取る事が出来ない。
 と、ややあって口を開いた少女の台詞に、八戒は表情を凍りつかせた。

「もしやそれは・・・百眼魔王の城に納められていた翼竜のことですの?」







この話でのオリキャラは、先天的な盲目ではなく、旅の途中で視力を失った設定。
つまり、三蔵様の顔も、一応眼にしているわけです(怪笑)。
ちょっとインパクトある台詞の部分で切ってみました。が、やっぱり殿下は今後も登場しません(笑)







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